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ルックバックを読んで

7月19日、とある読み切り漫画『ルックバック』がウェブで無料公開されました。
とても刺さって2、3日余韻が続いたので記録に残そうと思います。

だいたい三回ほど視点を変えて読んだので、その段階で感想を綴っていきます。


一回目 作品考察

一言でいうと、純粋に面白くて泣いた。少なくとも私個人にはぶっ刺さった。

生きていく上でとても大切な源動力を、言葉少なく絵(背中)で表現してくる、そんな漫画のように感じた。

後悔をifストーリー(フィクション)で解決できたらどんなにいいか。それでも私たちはこの現実(ノンフィクション)に生きている。それでも生きていくんだ。
そうゆう強い意志を感じた。


二回目 タイトル考察

Twitterで感想を探して、改めて整理しながら読むと書き手の才能に奮えた。

ルックバックの意味。

①Don't Look Back in Anger
・最初と最後のページとタイトルで示唆。
マンチェスターテロ事件のアンセム(礼拝式で歌われるシンボル曲)
歌詞の要約は「私たちは起こったことに対して後ろ向きになってはいけない。前を向かないと」

②過去を振り返って
・やり直しパート
昨今の救いを求める異世界モノと相対する内容を、現実(ノンフィクション)を漫画(フィクション)で叩きつけてくるあたりがとてもニクい

③背中を見て
・作中の4コマ漫画
どちらが書いてても不思議ではない筆跡で京本と書いてあるので真相は闇の中なのもウマい

・藤野が京本に言ったセリフ
藤野が作中でひたすら背中を見せている(サインも背中に書いているし)
作者(藤本タツキ)のチェンソーマンは今11巻、現在アニメ化決定で続編も予定されているので作中のシャークキックと同じ状況であり、続きは12巻でと言っており、その続きを描く姿…俺を…俺の背中を見ろ(ルックバック)と言っているように感じる

ちなみに私はチェンソーマンを後半少し読んだ程度の知識レベルなので、細かいところはわからないんですが、作中にところどころ他の作品が散りばめられているそうです。


三回目 時代的な考察

真意やキッカケを考察すると「京都アニメーション放火殺人事件」にたどり着いた。

絵が丁寧で上手い京本の「京」は神作画で有名な京アニのことだろうし、京アニ事件の二年後の次の日にルックバックは無料公開されている。次の日なのは、この事件を受けてこれからどう生きるのか。そこに真意があるように感じた。

こうゆうのを表面上の言葉だけでなく、プロ(漫画家のプライド)として気持ちを表現して、『俺はこれからも描いていく』と力強く背中で語ってくるあたりが最大級にかっこいいしめっちゃくちゃ好きだなと感じたし、私も頑張ろうと思えた。

それを漫画の中で特に大きく明言はしていないので、普通に過ごしてる人にはエンタメを提供し、心の何処かで行き場を失って何か引っかかってた人には救いが届くようにしてるのがどうしようもなく好きだし、もし結果的に悪く捉えられても、クリエイターとして表現の自由を最大限に魅せてくれてるリーダーシップがもうね(感無量)

ところで、昨年の京アニのヴァイオレット・エヴァーガーデンの映画を観ましたでしょうか?
あの映画は、時代の移り変わりの中でも変わらず残るものを感じさせてくれる素晴らしいものでした(1/3くらいは私泣き続けてました)
エンドロールに最期まで背中を魅せてくれた方々の名前が載っていたことも大変印象深いです。

ルックバック。

これほどの才能を読ませてくれてありがとう。そしてそんな嫉妬するほどの才能があっても、誰かの…ひょっとすると君のファンかもしれないと、才能を諦めさせてくれない動力を投入してくれたことに感謝を。

ルックバックを読んで!



8月2日、表現の訂正が入った件。

閲覧数が多かった関係で(奇しくもこの漫画から自分を罵倒する声が聞こえた)クレーマーの絶対数が増えて、漫画家の表現の自由が侵害された事件に、当初はカッと怒りがこみ上げてきたが……作者が承諾している以上はそれも自由なので納得することにした。

が……ただ一点、批判されて修正されることが簡単にまかり通ってしまう風潮を良しとすることだけは絶対に許してはいけない。それは回り回って自分たちの首を締めることになるからだ。

さて肝心の作品の中身ですが、「絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」という強烈な挫折した人生のコンプレックス表現が消えて、「誰でもよかった」とチープな表現となっているが……よく考えてSNSだけでなく本誌も読んでほしい。

私が読む限り、犯人像も目的もほとんど変わっていない。ただ表現を直球から変化球に変えただけだ。だから私は作者が残したかったものは残されていると信じているし、これからも期待しています。

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