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ガンではもう死なない選択が出来る?!⑧

私が何故心理学にはまったのか、乳ガンの私にとって何故心理学が必要だと思ったのか、ここで書いておこうと思う。
私は、自己肯定感というものが欠落している自覚が昔からあった。
癌になって最初に言われたことは、「ガンは緩やかな自殺と同じです。」
癌になるまでの私は、何か自分に不都合な出来事が起きるとすぐに自分を否定的に見る癖を持っていた。
それが高じて、若い頃は手首を切ったこともあった。
上手くいかないことは、自分のような人間がここに存在しているからだ。そう考えてしまうのだ。間違っていると心のどこかでわかっていても、一度この自己否定のスイッチが入ると抜け出せない迷路にはまった。
心理学の本やスピリチャル系の本、インナーチャイルドの癒やしや前世療法などの講習会にお金があるときは出かけていった。
講習会に出るといったんは良くなったように見えるのだが、ネガティブなことに見舞われると、私のガラスのメンタルはすぐに壊れた。
タバコを吸い、お酒を飲み私はいつも深海をさまよっているような心の闇を抱え込んでいた。
そんな私が、2年間PTA副会長という大役を受けてしまったから、さあ大変!いろいろな親御さん達の対応、先生方とのやりとり、果ては前副会長との摩擦とストレスのオンパレード、そこに慣れない派遣の仕事もあったために、わたしはボロボロに疲れ切っていた。食生活も忙しすぎて店屋物が並ぶ日々。折しも40代後半身体のホルモンの変わり目もあって、そりゃあ癌にもなるでしょ。
癌になって、自分の根っこを変えないとガンは治らない。ガンを一年で消したガンサバイバーの先輩に教えられていた。私の一番の根っこは自己否定の癖と母への嫌悪感だとわかっていた。
それまで、いろいろな講演会に行っても腑に落としきれない自分がいたのは、みんな両親がそろった家庭環境で生きてきてるんでしょ、私とは違う!そう思っていた。所詮誰にもわかりはしないと・・・傲慢でした。
衛藤先生にあって、初めて体験講演会で彼の話を聴いたとき、自分がシャッポを脱ぐ先生にお目にかかった。
それまで、一度だけ、結婚前社会人だった頃出会った会社の先輩にやはり母子家庭で育った上司がいた。とても素敵な女性で、その方の影響を当時の私は強く受けていたが、農家の跡取り長男と結婚して仕事を辞め疎遠になった。
衛藤先生との出会いは衝撃的だった。
衛藤先生もまたとても厳しい逆境の中を生きてこられていた。それでも、心理学を通して沢山の方々を救われている姿は、先生言われるところの虹の戦士さながらだった。
心理学を面白おかしく伝えながら、心の中を見透かされているかのような授業にわたしはドンドン惹かれていった。
自分中心的な発言えを叱られたこともあった。
おかしいと思いながらもどうしても変えられない自分の考え方に悩んだこともあった。
しかし、2年の歳月が沢山の気づきと成長をもたらしてくれた。
心理学を学んだことで、何故自分がこんな考え方をしてきたのか。
どう修正したら良いのか、人との会話の方法から傾聴、そして、自分メッセージの伝え方まで、沢山のことを教えていただいた。

深海魚が熱帯魚に変わるがごとく
我が家の子ども達は、私を肉食系恐竜ティラノサウルスが小鳥になったと表現するほど、私は自分の感情のコントロールが上手になった。生きるのが楽になって、自分を大切に出来るように変わっていった。
すると、気づくと母が変わった。鬼のように毒ばかりを吐いていた母が、今は仏のように優しい言葉を私に伝えてくれるようになり
私から逃げていた息子達が、向こうから近よってきてくれるようになった。
嫁姑関係もあれほどあったバトルが嘘のように穏やかな日々。
そして、以前にもして夫婦仲は良くなった。

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