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雰囲気サーファーからの昇格

 ご無沙汰しております。タユウです。
 いきなりですが読者の皆様へご報告があります。この度僕は「雰囲気サーファー」から昇格しました!今回は初体験したサーフィンを通して感じたことを綴ろうと思います。


 まずはじめに雰囲気サーファーとは何か疑問に思った方は多いでしょう。湘南に住んでいること。日焼けしていること。ロングヘアー。これら3点から、百発百中で初対面の人には「サーフィンしてるの?」と質問を受けることが多かった僕は勝手に自分のことを「雰囲気サーファー」という言葉を使い、その場を切り抜けてきました。そんな僕が急にサーフィンをしてみたくなったので、サーフィン上級者の友人に挑戦してみたいとお願いをし、予定を合わせ、遂にその日がやってきました。

 サーフィン初心者の僕はボードを友人の友達に借り、それを自転車に乗せ、強い日差しと熱いくらいの風を浴びながら彼らについて行く道のりは、僕を過去最大の雰囲気サーファーにしていたに違いない。到着後、何の知識もないまま砂浜へ降り立つと、強風と荒い波が僕を出迎えてくれました。このコンディションが良いのか悪いのかもわからないまま砂浜で基礎を教わり、いざ昇格の時。

 まず波vs僕の体幹のゴングが鳴りました。強く押し寄せてくる波に真っ向勝負をした結果、完敗。タユウは「潜って回避する」を覚えました。ボードに乗るだけで苦戦を強いられながらも、友人達の教えもあり、なんやかんやでもう少しのところまで上達し、順調に来ていたと思った矢先、第二ラウンドのゴングは知らず知らずに鳴っていました。

 成功のイメージvs繰り返す失敗のゴングは、一気にサーフィンをつまらなく感じ、その反面手が届きそうで届かない感覚にどこか懐かしさを感じました。幼い頃にできなかったことが成功するまでの過程には、決まってこのような時間が流れていたなと、辛抱強くとにかくトライをつづけ、振り返ると第二ラウンドは僕の圧勝だったかもしれません。そうして僕は波に乗り、立つことに成功。判定の上、勝利を収めました。乗る位置、波に合わせたスピードで漕ぐ、立つタイミング、立ち位置、目線など、サーフィンには奥深さが存在していて、全てが一つになった時の爽快感は一生忘れることはないと思います。その感覚とボードの上からみた景色は一瞬なのにその何十倍も時の流れがゆっくりに感じ、不思議な感覚でした。
 今思うと、勝利のキーポイントは第二ラウンドの途中に行ったトイレだったのかもしれないと思います。トイレというよりかは自分のうまくいかない理由探しと、波に乗れている人を見て学び、自分との違いや比較をして客観的にみる時間を作り出せたからです。何事も器用こなせるタイプではない僕は、数多くトライして成功を掴み取るタイプなので、考えながらトライすることと見て学ぶことの重要性を再確認することができました。その結果立つことに成功したと考えます。判断、乗る位置、波に合わせたスピードで漕ぐ、立つタイミング、立ち位置、目線など、サーフィンには奥深さが存在し、それがうまく一つになった時の感覚とボードの上からみた景色は一瞬なのにその何十倍も時の流れがゆっくりに感じ、気がつくとどっぷりサーフィンの魅力に翻弄されていました。(もちろんこれ以上の奥深さと魅力があることだろう)

 その他に様々なことを思いました。砂浜にあった魚の死体が海に浮かんでいたことに対し、「いやいや海に入るなよ」と思った直後に「そもそも僕らが海に入れさせてもらっているのではないだろうか」と考えたり、押し寄せてくる波が僕を思い通りに前へ進めてくれなかったり、気がつけば波の角度によって荷物から遠い陸にいたり、そもそも波がなかったらサーフィンを楽しむことは困難であり、予定通り実行できない日も多いのだろうとか考えたり。当たり前ですが、自然とは自分の思い通りになるものではないということを身をもって感じました。自然の中で行われる競技やイベントは、ボールひとつあれば練習可能なサッカーとは異なり、自然に選択を委ねた後に自分の感情を整える。それはとても新鮮で、僕の性格を見つめ直すキッカケとなりました。


 今回の雰囲気サーファーからの昇格が僕に多くの発見と再認識を与え、心の成長には限りがないと実感しました。また、海のような限りなく広く深い心と、時には荒波にも立ち向かい、時には抗うことなく乗りこなせるような人になりたいと思いました。

 さいごに、常に気遣って安全に配慮し、この貴重な体験を与えてくれた友人達に感謝します。そして、最後まで読んでいただいた読者さんにも感謝します。ありがとうございました。

 ”あなたが人生という荒い高波を上手く乗りこなせることを願って”

タユウ

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