映像作品について
映像を始めてから4年が経った。
実際にはもっと前からカメラを触ったり、コンテを描いたりしていたけど、本格的に作り始めたのは4年くらい前だ。
僕が作っているのは ”映画” というジャンルなのだと思う。
実際は映画以外も作るし、そもそも映画と言っていいのかわからない。
自分でもよく分かっていない部分があるから、
「どういうものを作っているの?。」と人から聞かれると、返答に困ることが多い。僕はだいたい「映像作品です。」と答えている。
実は、映像という言葉で一括りにするのは抵抗がある。
別に映像素材だけを撮っているわけではないし、シナリオやセリフだって考える。むしろ映像という外観よりも、シナリオや物語などの内容の方に神経を使っていて、そっちの苦悩の方が多いからだ。
だから、映像作品だからと言ってカメラやパソコンの技術だけではなくて、むしろそのツールをどう使うか、なぜこの作品を作るのか、という意図や文脈を構築するために、文章を書くことや、言葉を知ること、ロケ地の歴史や文化を学ぶことなど。そういうことも必要だったりする。
そうすることで、作品に説得力が生まれるのだと、僕は考えている。
そういう様々な要素が複合的に重なっているのが映像作品なのだと思っている。
視覚や聴覚といった感覚もその一つで、それを映像という形で表現するには様々な技術が必要だ。
さらにセリフや演技があるならば、その物語を多角的に理解し、内容とリンクした的確な撮り方と構成をしなければならない。
ノンフィクションであるニュースやドキュメンタリーなどであっても、どういう撮り方が相応しいのか。
そもそも映像にするということ自体が、撮影や編集という工程の中で、ある意味そこに存在しない物語を切り取り、意図的に作り出してしまうものなのではないか。
それを、脚色することが望ましくないノンフィクションというジャンルで、どう映像化すればいいのか。
そのような映像技術以外の要素が、映像作品には必要なのだと僕は考えている。
それが結果的に動画ファイルという形で出力されるから、僕らはそれを映像や動画と呼んでいるのだけど。
僕はそれを、映像という言葉で一括りにすることに抵抗がある。
僕の中で、あまりにも映像という要素以外のものが大きいからだ。
でも他になんて呼べばいいのかまだわからない。
僕は「僕が作ったものは映画です。」と、はっきり言える作品ができたら、それを映画と呼ぼうと思っている。