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勉強熱心なあまり、床下に潜り込んでしまう祖父のこと

少し前のnoteに野鍛冶屋だった母方の祖父の話を書きましたが、父方の祖父は製材職人をしていました。
どちらの祖父も真っ直ぐな職人気質な人だったようですが、僕の仕事の進め方は鍛冶屋の祖父ではなく、製材職人の祖父から受け継いでいるなと感じています。


鍛冶屋の祖父の仕事は子供の頃に間近で見る機会がありましたが、父方の祖父は僕が生まれる前に亡くなってしまったので、
どんな人だったかは知りませんでした。
ただ製材職人だったことは聞いていたので、サニーサイドスタジオをはじめる際に、父から祖父の事を詳しく教えてもらいました。


祖父は10代の頃に製材所に勤務をして、若いうちに独立したそうです。
独立の際には勤務先から大きな丸ノコを退職金代わりにもらい、その1台で仕事をはじめました。


そのうち製材の仕事だけでなく、家の設計建築を請け負うようになりました。
製材は山から切り出して皮がついたままの原木を建築材などにするために柱状にカットする仕事です。
要は材料があるなら建物まで作ってしまえ!という発想だったようです。


祖父は初め建築に関しては素人だったようですが、近所に家が建つと聞いては、現場を見に行き、構造を丹念にノートに書き写して勉強したそうです。

とても勉強熱心な人で、社員旅行でお城を見に行った際には勝手に床下にもぐ入り込み、構造を勉強していたそうです。
今のご時世で同じことをすれば炎上しそうですが、床下に潜り込んでしまう祖父の気持ちは分からないでもないです。
自分の知りたい事が足元にあれば、職人なら少しでも近くで見たいと思うものです。


猪突猛進な性格が自分と似ているところもあり、少し可笑しく感じました。
僕自身、今の仕事を始めた当初は知らないことばかりでした。
溶接の経験はあったにせよ、デザインや看板作りというのは全くの未経験でのスタートでした。

それでも何とかなると思い続けて今まで続けていられるのは、祖父のおかげだと思っています。
インターネットも無い時代の祖父が、製材職人から工務店の経営者にまでなれたのだから、自分にもできるはず。
そんな根拠のない自信と勇気を与えてくれました。


どちらの祖父も職人気質で怖いイメージがありましたが、大人になりサニーサイドスタジオを初めてからは、2人の祖父が身近に感じられるようになりました。
近所の人の為に儲けが無くても仕事を続けたり、勉強熱心なあまり床下に潜り込んだり…。

職種は違えど同じ職人として尊敬していますし、道に迷った時には2人ならどうしただろう、と考えるようになりました。


サニーサイドスタジオを始めた当初はデザイナーの描いたデザインや、お客さんからの希望を聞いて製作をしていました。
どちらかというと受け身で待つことが多かったのですが、最近ではできる技術を増やしたり、デザインの勉強をして自ら発信するようになりました。

祖父の苦労に比べれば、自分自身まだまだやれることは沢山あるはず。
そう信じて毎日ものづくりをしています。

いつもお読み頂きありがとうございます!