人間関係の変化ー友達ということ

2009年4月
息子が亡くなって3か月が経った。
少し行動を起こそうという気持ちになってきた。
いまの想いを何かに残すことにした。


子どもが亡くなってから
いろんなひとから心配のメールなどをもらった。
それが形式的な言葉もあれば、本当に心配してくれる言葉もあった。

いちばんよく会っていたママ友さんからおもに
形式的な言葉だったかなといまでは思う。

年が近い子をもっているだけに衝撃も大きかったのかもしれないけど。でも、年賀状くらいしかやりとりしていなかった
幼馴染の友人は電話をくれて、自分には何ができるか必死に考えてくれていた。

悩みに悩んで電話して、今から行こうかと言ってくれた。自分が怒りをぶつけてでも私が少しでも気が楽になればって。

夫と出会うきっかけとなった9年近くの付き合いになった
趣味の仲間は連絡くれたのは一部のひとのみでお線香をあげに来てくれる時間さえ作ってくれなかった。

亡くなったことへの返信もない方も・・・。
それぞれ理由はあるのだろうけど、何も言えなくても、連絡くれるだけでも当時はありがたかったりした。

亡くなった当時、父を亡くされたことがある主人の知り合いから人間関係が変わるし、人間性がみえると聞かされていた。

全くその通りで、本当の友人は何かしらできることはないかと
必死で考えて行動にしてくれるということがわかった。
自分でも同じことをしていたかもしれないし、
それ以外にもひとを傷つけているかもしれないから
人を責めるつもりはぜんぜんないけど、
いま私には数倍に傷つくことがあると実感する。

いまは少し落ち着いてきて改めて人との付き合いの深さを感じていて、
心配して時々連絡をくれるひとや気持ちをわかってくれるひとはごくわずか。

以前、生前にネットで買ったおしりふきが亡くなってから届き、あの子のために買ったものだけど
ずっととっておけるというものでもなく
捨てるのも・・・と思ってママ友さんに誰かもらってくれる方がいたらといったけど誰からも連絡もなかった。

それは思っていた通りだったのでたいして傷つかなかったけど、
結局はかたちだけのつきあいだったんだよねと思って少し悲しくはあった。

ママ友は子供がいなければ友にはならないってことだよね。これから子供の話ができるわけではないし。

他の同じような経験をしたママさんと話したとき、亡くなってから仲の良かったママ友さんが協力していろいろしてくれていると聞いて
正直すごくうらやましいなと思った。
でも、私の付き合い方が悪かったのだからしかたがないね。

でも、私の昔からの友人だけはもらってくれると言ってくれた。
私の気持ちをきっとわかってそう言ってくれてとても嬉しかった。
私の気持ちを受け止めてくれるひとが今はとてもありがたい。

彼女は昔からそういう子なんだよね。
旦那さんも一緒に受け取りにきて、
お子さんはもちろん一緒じゃなかったけど、
ちゃんとそこまで気を使って考えてくれてるんだと思った。

私も友人が辛くなったとき、
話をきいたり、同じように自分ができる限りのことをしてあげたいといまは心から思う。

ごくわずかだけど本当に私のことを心配してくれているひとたちには助けられて救われています。

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