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人生の順番、間違えたらアカン!

真っ先に手に入れるべきもの、今日、すぐにアクションを起こすべき事…。それはLOVEをGETすることや。



これ、投資とかより上位にきていることに注意せよ。

LOVEが確保できたら、そ・の・あ・と・でMONEYや。この順序を逆だと思っている人が多い。そういうひとは、人生こじらせている。

ここが大事な箇所だが……LOVEを維持するにはMONEYが必要。それも……LOVEをGETしたその直後からMONEYが最大の問題になる。

人生世知辛い。そういうのだと、腹を括れ!



俺が見知らぬ他人を観察して(こいつは見込みがある)とか(あ、アカンな、こいつは)とか判断しているポイント教えたろか?

そいつのおんなをみている。(笑)

あげまんって何だと思う?

あげまんというのは、ビンボーなカップルが「どういうわけか、あの人と一緒に居ると力が湧いてくる」式に頑張れるようなカンケーを指す。べつに相手が根性の悪いビッチだったとしても....それでおとこが発奮し頑張れるのなら、それはあげまんだ。

つまりあげまんとは、そういう伴侶のtransformativeなパワーのことを指す。

「チョー性格悪いオンナと一緒になったから、あの男は駄目だ!」......おれはそういう風には考えない。

例で説明しよう。ゼルダー・セイヤー。

ゼルダはメンヘラで、ただれた生活をしている典型的ビッチや。でもそれがスコット・フィッツジェラルドのインスピレーションやモチベの源泉だった。

このビッチがいなければ、フィッツジェラルドは大作家にはなってなかったと思う。

そういう意味合いにおいてゼルダはスコットの恩人。ふたりはお似合いのカップル。これは大成功の例や。彼らの結婚生活がどんだけ波乱にみちていたとしても。

つまりstruggle(もがきくるしみ)というものは避けて通れない。それが人生や。

問題は「それを誰とやるか?」だ。



LOVEが最上位なら……伴侶の居ない自分は、どうしてくれる!
ごもっとも。 そこで……オプショナリティーの話に入りたい。(今日、FOMCあることだだし)

オプショナリティーという言葉は難解だ。
でもその持つ意味は、みんな日常生活で痛いほど感じているはず。

親が「勉強していい大学行きなさい!」と口癖のように言う。そういうことを通じて親子の感情がもつれる。
それを知りながら、なぜ親は「「勉強していい大学行きなさい!」というと思う?

それは「将来なにになるかわからないけれど…とりあえずいい大学へ進学しておけば、その後の身の振り方は、どうにでもなる」と信じられているから。これがオプショナリティー。

すなわち将来の進路の自由度(=option)を、いま、「とりあえず大学行っておく」という行為を通じて確保する。
この「当座のaction」→「将来の自由」がひとつのセットになったものが、オプショナリティー。

してみると…われわれの人生は、オプショナリティーの連続だw

「大学から慶應を受験すると、ひょっとして落ちるかも。それならウチはカネがあるんだから幼稚舎から入れとくか?」というのはひとつのオプショナリティー。

ここでひとつ重要な知見に気がついて欲しい。オプショナリティーというのは、自分が「強い立場」にある人が、その「チャンスを生かす」カタチで行使しているということ。

「とりあえず幼稚舎にでも入れとくか?」という選択肢は裕福な家庭にしか与えられない。「とりあえず戦略コンサルに入っておくか?」というのは成績優秀な学生だけに与えられた特権。このように「強い立場」は利用しなければ権利消滅する。この権利消滅が重要。

「女性はクリスマスケーキと同じ。25歳を過ぎれば、途端に価値が落ちる」というような酷い言い方をされる場合もある。これも……権利消滅のひとつの例だ。

なぜ人生は辛いと思う?

それは年を取るごとに次々に権利消滅により自分の先行きが狭まるように感じるから。

僕は(みんなから誤解されている面があると思うけど)日本人なのだから日本で暮らし、日本人の伴侶を見つけるのが最善だと思う。

しかし……実際には伴侶を見つけられてない人が多い。

もしLOVEが最も重要なのであれば、それは広瀬さんから自分の人生を否定されたということじゃないの?

そうではない。人生というのはオプショナリティーの関門の連続で構成されている。だからそのオプショナリティーが権利消滅してしまったという事実はもう元には戻せない。しかし……そういう人にも可能性の道は開かれている。それは人生で新しいオプション(選択肢)を創造すること!

ITが進歩して今はビジネス・チャンスというものがどんどんランダム化している。デートとかの出会いですら新しい出会い方が可能になっている。つまり昔の時代の人たちのように、人生を一本の線(=リニアー)としてイメージすることは難しくなりつつある。

社会がノン・リニアーになれば、オプションを自分で創ることもたやすくなる。

僕が「人生のチートメニューのボタンを押しまくれ!」と言っているのは、つまりそういうことだ。

バスケの試合で敗色濃くなったらコーチはどうする? タイムを取り、ゾーン・ディフェンスからマンツーマン・ディフェンスに変えるだろ?

試合の流れを変えろ!


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