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悔しい。できない。負けたくない。

自分の傾向を考えたときに、最近気づいたことがある。
わたしは、クラスが嫌いだ。

正確には、同じことを学ぶ仲間が数十人集まって、
同じ内容を一緒に学んでいる環境がとてもストレスである。

これは、社会人になってから気づいたことで、
小中高大学まではわからなかった。
なぜなら、それが当たり前の世界で、
むしろその世界しか知らなかったから。

会社員1年目、
約100人の同期たちと
とあるホテルに集められ
約2か月生活したことがある。

学生の延長だった当時は、
まだそれが平気だった。

3年半くらい務めたあと、退職、
半年後にはカナダに留学して
マーケティングのクラスを受講した。
めちゃくちゃ居心地が悪かった。


きっと私は人と比べすぎるんだと思う。
きっと私はプライドが高すぎるんだと思う。
きっと私は恐ろしく負けず嫌いなんだと思う。



自分がかなわないなと思う人を見つけた瞬間に、
目指してたそれを諦めてしまうのだ。

今、ソーシャルメディアが普及した関係で、
どう考えても自分が無能で、
何物にも慣れないことが露呈している。


昔は知らなかった。
歌がうまい人がこんなにたくさんいることも、

料理のオリジナルレシピを
こんなにももりもり生み出すことができる人が
こんなにたくさんいることも。

でも、画面を通してみる世界は
どこか少し遠い世界な気がして、
「まだ自分でも、なれるような気がする。」
なんて思えたりする。


しかしクラスはどうだ。
できるクラスメイトを目の当たりにして
意気消沈するだけだ。


少しはできると思っていた。
少しは知識があると思っていた。

自分は少しは得意だと思っていたこと、
まわりからほめてもらっていたこと、
自信があったことから、
すべての自信が奪われて、
戦わなくなっていること。



傷つきたくない。
負けたくない。
恥をかきたくない。



挑戦できないこと、私はこれを頑張っているんだ!
を大きな声で発信できないことの裏側には
そんな感情が渦巻いているんだと思う。


あんなに生懸命練習して乗れるようになった自転車。
幼稚園の中では、早く乗れるようになったはずなのに、
なんだよ、世界中で自転車を乗りこなすひとなんか
ごまんといるじゃないか。


あんなにお金と時間をかけて、たくさん勉強した英語。
ネイティブ以外の英語を話すひと、山ほどいるじゃないか。


自分が今まで頑張ってきた「つもり」でいたことが、
どこでも戦えないものだってわかったとき
戦う気持ちも挑戦する気持ちも、
頑張ったはずの過去も、
全部消え飛んでしまうようなそんな気持ちになっている。


でもそれに気づいた。
気づけた。
今、そのせいで劣等感に駆られていることも。


私はやめない。
今頑張っていること、練習していること、
やめるもんか。


負けるもんか。


以上。

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