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花がなくても団子

私は、絵に描いたような3色の団子が、あまり好きでは無い。

私が小学校1年生の頃、妹が生まれるタイミングで、母は里帰りすることになった。父との2人暮らしが始まって、、、。と、是枝裕和監督の映画が始まりそうな展開にはならず、私は近くに住んでいた祖父母の家に預けられることになった。当時、父は超絶多忙を極めていたので、半年ほど祖父母が私の親代わりだった。

小学校なので、毎日帰って宿題をしなくてはいけない。勉強は出来る方だったけれど、やれと言われた事をやるのは嫌いという超ワガママ娘だったので、宿題はとにかく面倒だった。そんなタイプを見抜いてなのかは分からないが、祖父母はいつも、「宿題が終わったらね」と、やるべき事を片付けた後のご褒美をくれた。

小さい頃から食いしん坊な私は、大抵おやつに釣られて素直に宿題をこなした。晴れて終わった後には、(夜ご飯に影響しない程度に)色んなお菓子を食べさせてくれた。超メジャー所から、地方のお土産、時には海外のお菓子(大体子供の口には合わない)などなど。ただ、もちろんよく登場するスタメンはいた。その中の1つが、ヤマザキのお団子だった。そう、コンビニのレジ前とか、スーパーのパン売り場にしれっといたりする彼ら。

ピンク・白・緑のやけにテカテカした3兄弟を初めて食べたのがいつかは覚えていない。でも、食べた時に「エッ、全部同じ味〜??」と思ったことは記憶している。色が違うのだから、当然味も3種類だと思っていた。だから、その時の残念な印象というのが、私の中にはずっと残っている。嫌いじゃ無いけれど、あまり好きでも無い。

反対に、みたらし味は大好きだった。焼き目の香ばしさと、モチモチしたお団子にトロっとしたあまじょっぱいタレが絡んで、1つ頬張れば思わず口角が上がる。タレをいかに残さず食べられるか、に全力投球していて、大阪の串カツ屋もびっくりの二度漬け三度漬け。齧りかけの団子をパックに残ったタレへ何度もディップして食べた。実はあんこ味もあると知ったのは、大人になって自分で買い物に行くようになってからだった。

お団子はおそらく祖父が好きだったんだと思う。大体リビングのテーブルの上で、祖父の定位置の前にお団子のパックがあった。私の宿題が終わったら、祖父は嬉しそうにそのパックを開けてくれて、一緒に食べた。お供はひたすら再放送していた水戸黄門だった。夜ご飯に障るので、1回で食べさせてくれるのは1本だったけれど、子供の頃はあれを3本一気に食べられたらどれほど幸せだろうかと思っていた。

思えば日常生活で、団子に出会う機会はヤマザキのお団子ぐらいな気がする。そもそも、団子屋さんというものが街中にあるなんて、東京に上京して来て偶然見かけて知った。だから、普段はお団子のことなんて忘れていて。3色団子の印象を覆すような、3つの異なる味がする団子を食べることも無かった。でも、この時期になると急に「花より団子」という言葉が巷に溢れる。その大半は、本当にお団子を指す訳では無く、お弁当だったり屋台フードだったりするのだけど、一年で1番お団子のことを考える時期な気がする。そしてもちろん、私はこの言葉と共に、あのヤマザキの団子のことを思い出す。

でも、今は別に買いたいと思わない。1つたったの100円。色んなモノの物価が高騰している中で、おにぎりより安いそのお団子は、何個だって買えるのに。コンビニで見かけても、「お団子屋さんとか屋台の出来立てを食べたいな」、とか、「1本でいいんだけどな」、とか。あんなにたらふく食べたかったみたらし団子を見ても、何とも思っていないことに気がついて、なんだか嫌な奴になったなと思いちょっと凹んだ。

けれどそういえば、3色の団子は別に元から特別好きじゃ無かった。でも、あのお団子を食べる時間は大好きだった。そうか、私にとってあのヤマザキのお団子は、祖父と一緒に食べるものとして記憶に刷り込まれていて、自分で自分のために買うものじゃない、というイメージがあるだけなのかもしれない。祖父はいつも、「宿題終わったんか〜?」と言いながらあのパックをパリッと開けて、笑顔で私に差し出し、最初の一本を取らせてくれた。そのお団子が、私は食べたいんだなと。そして、そんな祖父がもういないことをとても寂しく思った。

次にあの3色団子を見かけたら、必ず買おう。あの団子は本当に3つとも同じ味だったのか。自分の舌で、確かめたいと思う。

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