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命をいただくということ

2020年10月7日(水)

人間は牛や豚、鶏などをはじめとした多くの動物を『家畜』と呼び日々屠殺し、口にしています。

私は高校3年間で農業を学び、家畜にも感情があり命があり家族がいるということを改めて実感しました。
3年時には酪農を専攻し給餌や掃除、搾乳、時には出産の介助なども行ってきました。

乳牛は生まれてから13~16か月で人工授精により妊娠させられ、子供を産み、本来その子牛が飲むはずである母乳を人間に搾取されます。
このサイクルを人間のエゴにより死ぬまで繰り返し続けます。

雄牛が生まれれば、乳を出すことはできないので売りに出され太らされ肉にされるのです。
オス・メスどちらに生まれても家畜は人間のエゴに一生付き合わされることになります。

私もこれまで病気になり死んでいく牛や、除角され暴れる牛、老化・事故などにより屠殺場行きになる牛を見てきました。
(皆さんが普段食べている国産牛という名の肉には、この雄牛や搾乳されていた雌牛たちも含まれます。)

今までは「ありがとう、いただきます。」と感謝して食べることが当たり前で、そこに疑問を抱くことはありませんでした。
しかし、これまで見てきた牛や鶏たちの顔を思い浮かべると、私は動物を食べない選択もできる中で、命を奪うことを選択し続けている自分が恐ろしくなりました。

もしあなたが家畜だったらと想像してみてください。
もしあなたが毎日糞尿まみれのベッドで寝て、毎日同じ餌を与えられて、必死で産んだ子供もすぐに引き離されて、使い物にならなくなったからといって肉にされたらどうでしょうか。

そんな一生であなたは幸せだったと思えますか?
私ならそうは思えません。
人間も牛も豚もなんでも全てに命があります。
命の重みに違いなどありません。命を奪ってもいい側と奪われてもいい側などありません。

工業型畜産は環境にも悪影響を及ぼしています。
工業型畜産をやめて人間が直接、穀物などを食べれば理論上は全人類に充分な食料が行き渡ります。

まずはヴィーガンやベジタリアン、ペスカタリアンといったライフスタイルや工業型畜産が引き起こしている問題などを調べてみてください。
動物達と目を合わせてください。

命をいただくということは、その命を奪うということです。
私たちには選択できる権利があります。

「あなたは本当にその選択を続けますか?」

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