「よく老いる」とは 訪問介護士@オーストラリア

今、「よく老いる」ために必要なこと、というテーマでレポートに取り組んでいます。

これに取り組む前は、今日本でよく言われている「生涯現役」とか「アクティブシニア」とか、社会で活躍している高齢者をヒーローのように扱われていることにどこか嫌悪感を抱いていました。なぜなら、私が毎日会う高齢者は、当然のことながら誰かの助けを必要とする方々ばかりで、どんなに努力している人でも病気になるし、年を取れば身体機能は衰えるもので、みんなが望むピンピンコロリなんて幻想なのに…感じているからで、高齢でも社会で活躍できる人がヒーローなら、できなくなったら世間のお荷物なのかい!とどこかで怒りを感じていたからです。

でも、50以上の論文を読む中で、そういった社会の動きも必要だということに気づきました。もし全ての高齢者が定年を過ぎたら現役引退、好きなことやって生きていればいいやと生活していたらどうでしょう。今の少子高齢化の社会では、絶対に立ちいかなくなります。若い世代にしわ寄せだけがいって、疲れ果てて、精神疾患になる人も増えるでしょうし、もうそれはそれは大変(今もそうなりつつありますが)。年が何才だろうと働ける人は働けばいいし、社会も誰でもやる気があれば働ける環境をどんどん作らなきゃいけない。そのためには、高齢者の意識改革も必要だし、受け入れ側の社会や企業も、高齢者の身体能力や認知能力の衰えも理解した上で、無理なく働ける場を作ることで、若い世代への負担も減らす努力をしなきゃいけない(もちろん、これまでの体制を変えたりいろいろ大変だとは思います)。
つまり、多くの高齢者が誰かの役に立ちたいと思っているのに、その場がないというのは勿体ないのです。これまでの社会では、働きたくてもその場がないし、地域や誰かのために何かやりたくても、年寄りは年寄らしくおとなしくしてなさいね、みたいな風潮があって、何かやりたい人もできなかったと思うのです。頑張りたい人には頑張れる「場」が必要。高齢者でもこんな元気に活動できるんだね!ということが世間の人たちがわかることはとても大事なことなんだな、ということが理解できました。
それに人は自分のためだけより誰かのための方が頑張れる生き物。社会参加は身体的にも精神的にも良い影響があることは、様々なデータからもわかっていることなので、高齢者の社会参加が増えれば、元気な高齢者も増える、ということですね。

で、問題は次。そういう人のヒーロー扱いはNGだということ。この風潮だけが独り歩きしてしまうと、病気になったら、身体が衰えたら、もう自分はダメ人間だ、と本人が勘違いしてしまう(周りの人もそう扱ってしまう)人が続出ですよ。これは危険危険。そうじゃなくて、どんな人でも誰かのために何かできるよ、ということもきちんと社会の人たちが分からないといけないと思うのです。障害者に対してもしかりです。

そして、もう一つ、「老いを受容する」ことが大事。これは、漠然と私が疑問に思っていたことで、認知症でも、脳梗塞の後遺症で障害が残っている人でも「私は今一番幸せ」と言う方がいらして、それはどうしてなんだろう、とずっと思っていたのです。つまり、客観的な健康や幸せと、「主体的幸福感」は全く別ということ。
そして高齢者が主体的幸福感を得るためには、老いによる様々な変化や喪失(機能の喪失だけではなく、家族との死別、生きがいだった趣味などができなくなることも含みます)を受け入れて、代わりの目標を見つけたり、最適化や補償によって、補っていくことが大事。そうすると主観的幸福感を維持しやすいのです。これを選択的最適化理論(Selective Optimization with Compensation)と言うのですが、これに当てはめて、幸せそうなクライアントさんを見てみると、なるほど!と納得することがたくさんありました。
そして、主観的幸福感の維持には他者からのサポートも重要ということ。つまり、誰にも頼らん!と意地を張るより、身体が衰えて生活が大変になったらちゃんと助けを求めた方が良いということです。

そして超高齢期になると、物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観へ変化すること(老年的超越と呼ばれます)が観察されており、これが主観的幸福感をもたらすようです。これもこれまで出会った90歳以上のクライアントさんを思い出してみると、すごーーく納得です。

こんな学びを通して私の至った結論は、高齢者自身も、自分の快楽だけを求めるのではなく、社会的役割を自覚して、経済的自立、健康維持、社会参加への努力が必要。そして、衰えを感じたら、抗おうとするだけではなく、ちゃんと受け止めて、だったらどうしようという対策というか、意識の切り替えが必要ということです。サポートも必要だったら素直に受けること。サポートを受ける場合には、「これまで頑張ってきたのだから支援されて当然」と権利を主張するでもなく、「私はもう役立たずだ、誰にも迷惑をかけたくない、ごめんなさい」と卑屈になったり、申し訳ないと思うのでもなく、「ありがとう」とサポートをを受ける姿勢(これは家族に対しても、介護士に対しても、誰に対しても)。それがいくつになっても幸せだなぁと思えることに繋がるのです。

そして社会は、高齢者は邪魔者や弱者と一括りにするのでもなく、社会が望む元気な高齢者だけを求めるのでもなく、様々な高齢者がいることを理解して、受け止める選択肢や場を増やしていくこと。そして、高齢者を正しく理解し、寛容さと共生の輪を広げていくこと、そのためにも、社会福祉や地域における支援の更なる充実も欠かせないし、高齢者に対する報道のあり方も変えていかなくてはいけないのでは?と思います。

誰もが幸せに生きていける世界を願いながら、頑張ってレポート仕上げます!


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