「よく老いる」とは② 訪問介護士@オーストラリア

よく老いるために必要なこと、それは「人との繋がり」を大切にするというのが私の結論です。結局それか、と思われるかもしれませんが、私が思っているのは友達を増やそう、家族を大切にしよう、ということだけではありません。直接的な関わりだけではなく、誰かと繋がっていると「感じる」だけでも大事だよ、ということ。「知り合い」でなくても、すれ違った人に挨拶するとか、レジの人と他愛のない話をするでもいい。独りじゃない、と感じること。
なぜなら「よく老いる」には、加齢と共に必ず訪れる体の衰えを「受け入れて適応していくこと」が非常に必要で、それには、結構独りでは難しい場合も多くて、他者からのサポートが有効的だということがわかっているからです。そして、生きがい保有の負の要素(生きがいを感じない人が抱える要因)としても、「孤独感」が大きいのです。
社会的活動や稽古などを週3回以上やっている人は、主観的幸福感が高く維持される、ということもわかっているそうで、継続的な活動は、それ自体が楽しくて生きがいになるということもありますが、人との繋がりを感じやすいからだと私は思います。だから、元気なうちはいろいろな活動をすることは、健康維持の上でも大切なだけでなく、健康に問題が出てきて自立的生活できなくなった後にも、その人たちのことを想ったりすることで繋がりを感じやすく、とても大事なのです。
頑張れば健康を永遠に維持できるわけではなく、必ず身体は衰え、人は誰でも死を迎えます。最期まで幸せを感じるために、自分だけじゃなくて、身近な人、周りの人、地域の人、日本にいる人、世界にいる人、みーーーんな大切にするってとても大事だと思います(ちょっとスケールが大きくなりましたが、ホントそんな気持ちに至りました)。

その根拠について、以下の私のレポートの一部を読んでいただける嬉しいです。(本当はもっと詳しく書きたかったのだけれど、字数制限の問題でこの程度しか書けなかった…)

 老年期は、加齢に伴い、身体機能や認知機能の低下、罹患率の上昇、社会的ネットワークの減少が生じることに加え、家族や親しい人との離死別を経験する時期でもあることから、生きがいの源泉・対象を失い、疎外感や孤独感、無意味観を抱きやすい。したがって、個人の現実的な変化や喪失を受け止め、認知や行動を再構成し、適応していくことも必要である。
 Baltes(1997)は、高齢期への適応方略として目標の選択、資源の最適化、補償の3つのプロセスによって主観的幸福感を維持する選択的最適化理論を提唱した。この選択的最適化補償行動を引き起こす前提条件の 1 つとして、加齢に対する心理的受容が不可欠であり、加齢の受容はソーシャルサポートや主観的幸福感、経済的満足度が促進要因となることがわかっている。主観的幸福感は、日々の生活や出来事におけるポジティブな側面に着目する等の認知面への働きかけにより高まる。また、配偶者の死別や病気等のストレス度の高いライフイベントの際、不安の増大により抑うつ状態となり、活動性の低下が生じ、更なる身体機能等の低下が重なる悪循環が生じるが、それらの適応には他者からの受容や支えが大きな意味を持つことも明らかになっている。したがって、加齢に対する受容と適応には、公的支援のみならず、家族や友人、近所づきあいを含む他者との関わりは非常に重要だと言える。「つながりの実感」は、超高齢期にそれまでとは異なる世界観の獲得(老年的超越)と正の関連性があり、心理的幸福度が維持されることもわかっている。

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