見出し画像

見えると安心、感じるのは幸福

こんばんは

お腹がいっぱいだけど喉が渇く時って
こまりますよね。

さて、
同じ話、いえ、
伝えたいことは同じでも
話し手によって、話す言葉によって、用いる例え話や比喩によって
ぜんぜん話が入ってこない時もあれば
すいすいと言いたいことがわかる
そうゆう意味だったのか!と膝を打ちたくなる時があります。

話し言葉にも相性があるってことなのかな。
そもそも話してる相手との相性なのか?
物分かりの良さのちがい?
まあ、どっちでも何でもいいか。

いずれにしても、
今までわかるようで、よくわからなかったことが
くるんと動いて、いろんな点と点が繋がり、
景色が見えた時って
すごく嬉しいです。

それだけで解決したような気さえしてしまうくらいに。

相手がわかるように伝えられるっていうのは、能力のひとつのような気がします。

わからない時にわかってる顔をしないことも大切なのかもな。
話しの骨を折りたくなくて、合間に質問できないこともあるけれど。

何かを学ぶ時、もし選べるならば、
そうゆう伝える時に使う言葉などが近しいひとから教わることができるといいね。

そして、日々すごす時もまわりにも
そんな風に話せる人がいると満たされるよなあ。

でも、
伝えたいものはちゃんとあるのに、
言葉のチョイスやタイミングがズレてしまうこともある。

表面上のことだけすくうんじゃなくて
言葉にならないものも
感じとることってできるとおもうから、
そうゆうセンサーが自分にあること、
そのセンサーも信じることも大事にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?