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恋愛の種類

恋愛として好きになった人からの好きが欲しいのではなく、その人のプレイリストにある「恋に当てはまる歌」にのせて思い出すのが私ならなと思う。

始まるかも!と期待しすぎる恋に落ちる恋愛をやめようと誓った後、長らく恋とは程遠い私だった。しばらくして、どうにもなりたくない「ステイ」な恋に落ちた気がした。なので決意とは違う種類の恋に、半月は困っている。

ステイな恋というのは、ずっとこのままの関係でいたいという訳で、、、でもそれを突き通すことで悪く言えば始まりがなく、良く言えば終わりが無い。

好きを自覚するのはいつからだろうか。誰かに打ち明けたときか、はたまた思い出をそっと本棚から持ち出して読みふけってしまった時だろうか。

本心を押し殺して、文やらふるまいやらで好かれようとするのはよくあることだけど、そんな一方的な駆け引きは正直私には向いていないと気が付いた。

なぜ友達にならできることが、意識し始めた人には不可能なのか。長く日本を離れる予定があるので、今、シンプルに会いたいなと思えた。そんな時、画面上で「会いたい人に会いたいから会おう」の文字は「会える時に会いたいから会おう」に変えられた。

意識し始めてる自分が面倒くさい。さっきまでふと思い出す程度の友達のはずだったのに、なぜ不意に頻繁によぎるメインキャラクターになったんだ。正直じゃない関係を、こちらの方からから築いていて笑う。

恋愛の目になって始まる沸騰系の恋で成功した試しがないので、生温い友達から始めるすぐ冷めない石焼きビビンバの器のような恋がしたい。

ティファールのような「あ」という間の恋愛からビビンバのような恋愛まで、恋愛の種類は世の中に溢れかえっていて、勉強のしようもない。それぞれのさじ加減とは言え、私は「適量」「少々」のような良い塩梅を探すのが苦手で、きっと恋愛に向いてないと思う。

文章を書いていてふと思った。「好きな人」って表現すると、それは自然と恋愛の意味での好きで、恋愛として好きになった人だよな。と。

自分にとっての好きな人はホントの意味で好きな人なんだけどな。だから私にとっての「好きな人」は友達でも家族でも恋愛でよくある「好きな人」でもあるので、結構多い。

「好きな人できた」「好きな人いる」ってほとんど恋バナでしかしないような表現だけどさ、「なんか良さげな友だちできた!」「まじ最高の友だちいる!」みたいな感じで「好きな人できた!」「好きな人いる!」ってなりたい。言いたい。

だって、好きな人は好きな人やん。

困った困った。恋愛は苦手なのに、恋愛について考える時間はなんか好き。

追う恋、追われる恋、積極的な恋、消極的な恋、落ちる恋、気づいたら落ちてる恋、好きな人ができる恋、「好き」な人を好きになる恋、慌てた恋、じっくりことことな恋、始めたい恋、終わりたくない恋、、、

結局、恋愛をいちいち言葉にするのは難しいし、恋愛の種類をキレイきっちりと別けることはもっと難しい。そういう次元の話なんだろうな、恋愛って。

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