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苦難を断ち切り、未来を切り開いた話

   1月3日、友達が退院した。

   年末に虫垂炎を患い入院を余儀なくされたのだが、数日間の薬物療法の末に晴れて自宅に戻ったらしい。私たちは、もともと年明けにランチに行く約束をしていたのを快気祝いとこじつけ、焼肉屋さんで乾杯することにした。
   いつも少食の彼女が、300gの肉の盛られた定食をガツガツと美味しそうに食べている。「病院食も美味しかったけど汁ものかペースト食のようなものだったし、絶食の期間もあったからやっぱり普段通りの食事が出来るのって嬉しい」と彼女。退院当日は家中のお菓子をかき集めて貪り食ったという。

   お腹がいっぱいになったあと、唐突に「せっかくだしこれから初詣に行こう」ということになり、パツパツのお腹を抱えて八坂神社を訪れた。

   平日のお昼にも関わらず、神社はたくさんの参拝客で溢れている。着物を着ている女性も多い。はっきりとした目的地もないまま、立ち並ぶ屋台を両手に人の流れに乗る。あっちはお面屋さん、こっちはチョコバナナ屋さん。威勢の良い呼び声があっちの屋台から聞こえたかと思うと、今度はこっちの屋台からソースの香りが流れてくる。目がとても忙しい。

   「美味しそうな良い匂いがするね」
   200gのお肉とご飯、わかめスープ、サラダがセットになった焼肉定食とキムチ胡瓜がまだ胃の中に鎮座していて、食べ物のことはしばらく考えられそうにない。ソースの香りを嗅ぐだけでお腹が「すみませんがこれ以上は入りそうにありません」と食べ物を早めに拒否する。私が「うん、良い匂いだねえ」と適当に相槌を打つと、
   「参拝したら何か買おうよ」
   と病み上がりの彼女が言う。吐く寸前まで腹を満たしたいらしい。

   八坂神社にはお社がたくさんある。色んな利益を与えてくださる神様がたくさん祀られているのだ。商売繁盛、五穀豊穣、健康も美容も厄除けも。八坂神社はご利益のデパートだ。

 「美容の神社なんてあるんだね。どうする?」
 「いや、美容面は今のところ大丈夫かな」
 「確かにそうだね」

 厳然たる神々を前にどこまでも傲慢な私たちが特に惹かれたのは、「刃物神社」。
 突然出てきた物騒なワードを訝しみながら、鳥居の前に立つ看板に目を向ける。


 【苦難を断ち切り未来を切り開く】


 「なるほど。苦難を断ち切って未来を切り開きたいね」
 「ここにしよっか」
 かくして私たちは5円玉と10円玉を賽銭箱にそれぞれ投げ込み、無事に参拝を済ませた。

 食欲に支配された彼女が神社の入り口でベビーカステラを買っているあいだ、数歩ほど後ろで待っていると、隣の屋台に「りんご飴」の文字を見つけた。
 懐かしい。お祭りや初詣で屋台を見かけることはあっても、りんご飴は小学生以来食べていない。普段食べることのないその味はとても“屋台らしさ”があり、見た目の可愛さもあいまってつい買いたくなる。しかし食べにくさを考えるとなかなか手を出しにくい。手と口元をベドベドにせず食べきる器用さを持ち合わせていない私は、綺麗にお化粧をした着物姿の子がりんご飴を買っていると勝手な心配をしてしまう。
 私の目線に気付いたのか、ベビーカステラの袋を持って戻ってきた彼女が
 「りんご飴だ!いちご飴もあるよ。買う?」と声を掛けて来た。
 食べられないこともないけどお腹いっぱいだな…でもいちご飴なら入るかな…りんご飴よりは食べやすいし…?と逡巡していると、「私は買う!」と再び彼女が財布を取り出した。
    元の少食はどこへやら。退院当日に家中のお菓子を食べ尽くしたというのも頷ける貪欲さだ。そんな彼女の勢いに釣られて、「じゃあ私も!」と財布から400円を取り出した。せっかく来たのだ。神様には申し訳ないが、お祭りや初詣の醍醐味は50%以上が屋台にある。神様ごめんなさい。

 人混みを避け、神社の隅の方で改めていちご飴を眺めてみる。
 大きないちごのお尻に中サイズのぶどうも1粒刺してある。あのりんご飴特有の赤色がいちごたちをツルリと覆い、とても綺麗だ。いちご飴ってやっぱり可愛い。受け皿用の銀紙がついているので、手も汚さずに済みそうだ。
   「いただきまーす!」
   2人でいちご飴にかじりついた。

   「!?!?」
 彼女が軽く目を見開いた。パキッという小気味良い音を立てた私のいちご飴に対し、彼女のいちご飴は歯を突き返すようにびくともしない。ツルリとした赤が鉄壁の守りでいちごを包み込んでいる。
   「固…!いちご飴ってどうやって食べるの?」
   なんと、彼女はいちご飴を今まで一度も食べたことがないという。いちご飴の硬さを思い出しながら挑んだ私とは顎の力の入れ具合が違ったのだろう。彼女は、想像を遥かに上回ったらしいいちご飴の硬さを前に目を丸くしている。
 歯でいちご飴を何度かつついたあと、おもむろにスマホを取り出し真剣な顔で操作し始めた。

   「ねえ、もしかしていちご飴の食べ方について調べてる?」
   「うん。"かぶりつけ”って書いてある」

   ああ友よ、それ以外に何があるというのだ。

 「かぶりつこう。己の歯を信じて戦うしかない」
 「早速苦難にぶつかったな…」
 「覚悟を決めるんだ」


   私たちはしばし無言でガジガジといちご飴をかじった。飴が薄い部分はパキリと軽い音を立てて割れ、中からいちごの甘酸っぱい果汁が染み出してくる。シンプルな飴の甘ったるさと交わり、子どもの頃に見た屋台の景色を記憶の奥の奥に感じる。
 一方で飴が分厚い部分を一口かじったが最後、飴が歯を羽交い締めにしてなかなか離さない。上の歯にネチネチと張りつき、やっと取れたかと思うと今度は下の歯にネチネチと張り付く。上でネチネチ、下でネチネチと口の中で飴が移動する。飴を食べているというより、歯で飴を練り直しているようだ。そうやって飴を歯にくっつけたり離したりしているあいだに、歯間に挟まったお昼のお肉どころか、奥歯の詰め物、銀歯、入れ歯、全ての口の中のアクセサリーというアクセサリーが根こそぎ持っていかれるに違いない。なんと恐ろしい食べ物だろう。素人が安易に手を出していい代物ではない。

 決死の思いでいちご飴を口の中に入れきった私が何もついていない串を見せつけると、「は、早い…!」と彼女に尊敬の眼差しを向けられた。「飴が薄い部分から食べるといいよ。飴が厚い部分は最後にまとめて食べたからまだ口の中に残ってるけど、これで手があく。残りの飴の塊は歩きながらでもゆっくり溶かして食べればいい」などと得意げにアドバイスをする。
 「なるほど。ベビーカステラ食べる?」
 「あ、うん…口の中の飴を食べ終わったら…」

 私たちはかくして、由緒正しい神社の片隅で「苦難を断ち切り未来を切り開く」ことが出来たのであった。

   帰路、強烈な便意に見舞われた。焼肉の脂身が悪さをしたのだろう。
   自宅まで漏らさず持ち堪えたこともまた、1つの苦難を断ち切ったと言えよう。

 ありがとう刃物神社。
 私の自尊心とパンツは守られた。

 今年も良い年になりますよう。

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