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リーグオブレジェンド二次小説「焚火」

 空を厚い雲に覆われて月明かりがちらとも望めない夜は例え危険だと分かっていても火をおこさずにはいられない。
 デマーシア南部の丘陵地帯に遠くからでもはっきりと見つけることができる焚火の明かりが揺らめいている。
 赤や橙に揺らめく朧気で暖かなその光を求めないものはいない、虫や獣や人でさえも生あるものはみな寄り添いたがる。

 そこらの雑木林からわずかに拾い集めた薪でおこしたその火は細く頼りなげで、わずかな風にも煽られて揺らめき、それを見つめている壮年の男の容貌を変化させる。
 安堵に落胆に焦慮と、どの表情も疲労の色が濃くわだかまり、男はその火を永らえさせるために薪をくべるべきなのか日の出まで薪が持つのかを迷いながら意識を朦朧とさせている。
 男は夢の世界に半ば引き込まれながら焦りによって眠りに落ちられずにいる。

「すまないがその薬は今は高価になってしまっているのだ。知っていると思うのだが、恐ろしいメイジの暴徒どものせいで北部山脈との交易が不調になってしまっていて」

 メイジの反乱を恐れて豪商や建築家や医者はみな地方の村々から魔法を遮蔽するペトリサイトの城壁に囲まれた王都へと避難していた。
 名もついていないような開拓村から王都までの乗合馬車と薬代で手持ちの金はすべて底をついてしまった。
 王都の大門を出た時の交易路の果てしなさに落ち込んで歩き出す前から足が痛む。

「おい、そんなところまで歩いていくだなんて正気じゃあないぞ。悪いこと言わないから今から王都に引き返していくらかでも金をつごうしてもらいな」

 すでに金は開拓村の豊かとはいえない近所の者達に限界まで借りいれて、まだ若く健康な牝牛を譲る話をしてしまっていた。
 あと自分に残っているものと言えば病を得ている妻と一人の男児のふせっている家と牛小屋と種まきがすんだばかりの土地だけだ。
 失えば生きてはいけない。
 だが開拓村まであと二日ほどの距離、見慣れた丘の稜線の形を見たときほど心が安らいだ時はない。

「あと少し、大丈夫、あと少し、大丈夫」

 引きずるほどに痛む足と感じなくなってしまった空腹に立ち止まり火をおこさずにはいられなかった。
 次第に男の意識はまどろみへと傾いて行き、座り込み薪をくべる手が地に落ちて、火の揺れるのに合わせて頭が上下に動き始める。
 このまま横に倒れて眠ってしまっても、春に入ったばかりの夜の厳しい寒さからは守られるだろう。

「おい、おきな、このマヌケ」

 ぞんざいな口調と共に、肩に強い衝撃を感じた男は倒れこんで頬を地面に打ち付けた。急激に夢の世界から引き戻された事と頭部への衝撃に朦朧とする男の鼻づらへ質素な靴の爪先が叩き込まれる。
 揺らめく焚火に照らされてぬめりを帯びた血が雑草に飛び散った。

 顔を抑え悶えながらも男は片腕に背負い袋をきつく抱きしめて、自分の鼻血の匂いにむせてせき込み、あまりの事に逆に冷静で明瞭になった意識でこちらを見下ろしている二人の人影を見上げる。
 一人は男と同じ年ごろでもう一人はだいぶ若く、二人共に質素な亜麻の服に粗末な皮鎧とも言えそうな物を着込み刃こぼれが激しい幅広の剣をぶら下げている。

「全部出しな、服は勘弁してやるが靴は脱げよ」

 唇に鋭い傷跡の残る壮年の男が言いながら地面を指さして、後ろの襟足まで伸びた髪をまとめた若い男は恐々と地面に垂れた血を見ている。

「が、か、金などない」

 なんとか体を起こして鼻を抑えたまま出す男の言葉は濁りか細く、それを聞いた唇傷が嘲り笑いを漏らして後ろを振り返り、若い男は追従のあいまいな笑みを浮かべた。

「こんな夜に目印の火をたく奴はどんな馬鹿かと思ってたが、言ってることもわからねえのか、全部出せっていってんだよ」

「売れるようなものなど、何もない」

 唇傷の持つ剣の切っ先が上がっていき男の胸に突き付けられる。

「三度目だ。全部出せって言ってんだよ」

 背負い袋の紐を解き中身を順に地面に並べていく。
 火口箱に靴修理のための針と糸に防水のための油、二枚だけとなった銅貨が入った巾着袋と節約して食べていた干したオレンジと肉が残るのみだ。
 地面にゆっくりと並べられていくそれらはわずかで粗末で使い古されていて、男が旅した道程の過酷さを有り余るほど表している。

 そして最後に躊躇と共に取り出された手のひら大の油紙の包み。

「そりゃなんだ?」

 男は唇傷の男をまっすぐに見上げて息を整え、自分の心が固まるのを静かに待ってから話し始めた。

「薬だ、これを買うために王都まで行ってきた。故郷の妻と息子はこれがないと助からない。お前のデマーシア人としての心に縋りたい」

 帰ってきたのは鼻で息をすることによる嘲りだけで、胸元に突き付けられた剣先が円を描くように動いて服の表面を引っ掻く。

「デマーシア人だあ、まだ夢でも見てんのかこのマヌケは。てめえの持ってるもんで金になるのはその薬だけだ」

「法と正義を尊ぶ心はすべての人にやどっている。無宿者にも病人にもメイジにもだ」

「そういうたいそうな御託は王都にいるイルミネーターズの尼さんにでも聞かせてやれや、ここにある法と正義はこいつだけよ」

 手首の動きで回転する幅広の刀身に焚火が映り込み、そこに滴った男の鼻血が玉を作り流れ落ちていく。
 あとすこし柄を握る手が進めば粗い繊維の服をやすやすと突き破って皮と肉を貫き肺に突き立つだろう。
 だが油紙を捧げ持つ姿勢の腕は微動だにせず、男の視線は唇傷に据えられたままにこゆるぎもしていない。
 心臓を差し出す殉教者にも見えるその表情に唇傷はさすがにいぶかし気な視線を向けて刃先がわずかに引かれる。

「薬なんか金に換えるのも大変ですし……」

 初めて言葉を発した若い男の慎ましいテノールに唇傷は苛立ちを含んだ表情で振り返る。

 男の体がはじかれたように伸びあがり胸の前にある刃先をかわして飛び出していく、手に握られている油紙の下にあった小さなナイフが焚火の炎を照り返してぬめりのある光を放つ。
 唇傷は目を見開いた若い男の顔には気づいたが振り返ることはできずに、まっすぐに伸ばされた刺突をむき出しの首に受けた。

 覆うものは無く皮と肉を貫きやすやすと気道に達する。

 自分に何が起こったかもわからずに唇傷は喉元に手を伸ばしかけたまま仰向けに倒れ、その手に握られていた幅広の剣が男に拾い上げられる。
 腰を抜かした若い男は地面を尻と踵でこすりながらなんとか後ずさろうとして地面に溝を掘っている。

 か細い悲鳴がその喉から漏れた。

 男が初めて握ったであろう剣を力任せに大上段に振り上げて踏み込み、振り下ろそうとしている年若の男の焚火に照らされた横顔に自分の一人子の幻が重なった。
 あの子がこれくらいの年になったら同じように鼻筋が伸びて繊細な顔つきになるだろうか、あの子がこれくらいの年になったら同じように細く長い指を持つようになるだろうか、それならあの子は農業ではなく細工師や縫製師のほうが向いているのではないだろうか、もしそうなら王都にある店に弟子に出して技を学ぶ必要があるのではないだろうか。

 気がついた時には細く長く繊細な指が握った剣が男の胸に突き刺さっていた。
 年若の男は闇雲に突き出したそれが突き刺さっている事にただただ驚いていて、剣を振り上げている男はどこか茫漠とした目つきで自分に刃を突き立てた相手の顔を眺めている。

 焚火が風に煽られてぱちりと火花が弾ける音がした。

 振り上げられていた幅広の剣がのろのろと下ろされて男は胸の傷よりもあまりの疲労に耐えかねたかのように膝をついた。その場にいる両者共に柄を手放して、同時に二本の剣が地面に落ちる。年若の男は驚愕の表情を顔に張り付けたまま、目の前の胸元が血に染まっていくのを見つめている。

 緩慢な動作で伸ばされた男の手が傍らの地面を探り、遅れて追従した首と顔が焚火のそばに転がっている油紙の包みに向けられる。手を伸ばし拾い上げようとするが、いくら伸ばそうとも届きそうもない。

 若い男が逃げ去ってしまう前に薬を届けるよう頼まなければ。

 体が重く寒く乾いていくのに胸からあふれ出た物で濡れていく下腹だけが温かく、体をねじり肩を動かすというだけで長い時間がかかった。伸ばした手を支える肘が震え、傾いた背中が倒れそうになってやっと指先が油紙に触れた。

「欺瞞……」

 低く重く圧倒的なその声に油紙が薄緑の霧となって崩れ流れ去り、傍らに倒れている唇傷も驚愕の表情で固まっている年若の男も周囲の雑木林も見慣れた山の稜線も形を失っていく。ついには小さく頼りないけれど暖かだった焚火の煙も火花も明かりすら消え去った。

 それに照らされていた自分すらも。

「なぜ自らを欺くのだ、死を越えし者よ……」

 男の世界はすべてが不気味な霧に変わり流れ去り、目の前には声の主である黒鉄の鎧が立っていた。
 人の身の丈ほどもある巨大な槌の石突に手甲を重ねて、纏う者のいない巨大な鎧そのものに込められた力が重く響く声を発する。

「お前は自らの姦計によって愚かな賊を小さな刃だけで支配した……」

 兜の瞳の部位には緑の霧が凝り固まったような光が宿り、その眼光は男を貫き通して鉄の床をそれから伸びる鉄の柱と壁と梁を、大広間の内部を漂う霧をも支配していた。

「悲願のために苦難に耐え達成の時まであとわずかというところで、なぜ賊の片割れに胸を差し出したのだ」

 余りに力ある眼光に圧倒されて男は自ら思考する事もままならず、ただ目の前に直立する黒鉄の力に胸の内を掴みだされるように言葉がこぼれ出る。

「あの子に、似ていた」

「それこそが欺瞞、お前の子はあの男に似てなどいない。お前は怯える同種の命を支配する事を躊躇うあまり幻に縋ったのだ」

「細い、指だった」

「その指がお前の胸を突き刺したのだ。あまつさえその指に薬を届けるよう乞おうとし、自らの手で支配しようとせず悲願を手放した」

「薬を……」

 そう言った男の口調に急激に張りがもどり鉄の鎧を見上げる。

「薬だ、薬をもっていかなくては。ここはどこなんだ、教えてくれ早く帰ってやらなければ。二人共死んでしまう!」

「やはり、死を越えるためには悲願の達成を求め、執着し、宿命に這い寄る意志こそが必要なのだ」

 明確な意志を持って問う男に対して鎧が発する言葉にはほんの僅かばかりの感嘆と懐古が入り混じっていた。

「ここはミトナ・ラクナ、我が死の向こう側の荒野に築き上げし帝国よ」

 片方の手甲がかざされると男の意識にこの大広間を要する鉄で作り上げられた巨大な城塞があふれ出し、緑色の霧を切り裂いて伸びる長大な鉄の尖塔の群れが突き立ち、その外に無限に広がる砂粒と霧の茫漠とした荒野が広がった。

「死を越えし者よ。ここは覇王の間であり謁見室であり審判の場である」

 男はその言葉でようやく自分の胸を手で探り、そこにあるはずの傷どころか胸も手も薄い霧によって模られただけのおぼろげなものであることに気がついた。
 手で触れようとした胸も肩も頭も突き抜け触れることができない。

「私は死んだのか」

「否、死など通り道にすぎぬ」

 鉄の鎧が巨大な槌頭を浮かせて大広間の床を軽くつくと、槌全体が一瞬強い光を放ち薄い緑の霧に染みわたっていく。男の頭にいまだに映し出されたままの鉄の城塞も鋭い尖塔もそこに渦巻く霧にも光が伝わったのを感じた。

「死者はこの果て無き荒野にてみな無に帰る。しかし稀なる魂はそれを拒みさまよい、遂には時に敗れ消えていくのだ」

 男の意識の内にある城塞の大門から鉄で舗装された道が伸びているが、それが途切れた先は木も岩も地面の砂粒の凹凸すらない荒野に霧が充満している。

「薬を、薬を届ける事はできないだろうか。私は何でもする、何でもだ」

「なぜ自らを欺くのだ、死を越えし者よ」

 先に鎧が発したのと同じ言葉だが、今度の言葉には強い嘲りの響きがあった。

「この場に召し出されたる魂は一国の王も万を従える将軍も英知を湛える賢者も波止場の物乞いすら自らのすべてを告白しつまびらかにする。誰も逆らう事は出来ぬ」

「どんなことでもやって見せる。本当だ」

「お前は床に伏した妻子を置いて村を出る時、すでに薬が間に合わないであろう事を悟っていた」

「それは……」

「お前の宿命が病に易々と奪われようとしている時になぜ遠い旅に出たのだ、それもまた逃避だ。眼前で奪われる事に耐えられずに薬があればという幻に縋ったのだ」

 男の背が曲がり、顎が胸につくほどうなだれる。

「なぜ自ら奪わなかったのだ」

 男の顔が上がり恐慌に唇がわななく。

「病などに奪わせず、自ら妻子の死を支配すればお前の胸にさらに大いなる宿命が生まれることになったかもしれぬぞ」

男はその先の言葉に恐怖するあまり両手で耳を塞ごうとしたが、霧で模られたそれは触れる事すらできずに突き抜けた。

「お前が村を出た二日後の夜明けを待たず妻子ともこの荒野に迷い込んだのだ、わずかも形を保てず消え失せたぞ」

 男の絶叫と鉄の鎧の哄笑がミトナ・ラクナを震わせて長く長く後を引いた。

 絶叫は時間と共に嗚咽となりすすり泣きに変わっていったが、哄笑はそのすべてを味わい衰えることが無い。男の霧で模られた体は響き渡る声を受けて揺らめくが、黒鉄の鎧は不動にしてすべてを掌握している。男の涙を模った霧は床に落ちる前に周囲の霧に紛れ込んでしまうが、黒鉄の鎧の眼光はすべてを貫き通している。

「羊よ狼よ、どうか、どうかお助けください……」

 男から漏れ出る死の象徴への哀願も何の意味もなさない。

「愚かな、奴らは通り道にすぎぬ。お前には我が大いなる宿命を与えよう」

 掲げられていた手甲が仰向けになり握りしめられると、男の周囲の霧が同調して手甲を形作り掴みこむ。数瞬のあと霧が形を失うと、軽い音と共に人の指先ほどの鉄片が床に落ちた。

「我が帝国に永遠に奉仕する事を許してやろう」

 再びの哄笑が広間を震わせる。

 鉄片その物も小さく震え続けその振動で床を這い進み広間の出口へと向かっていく。広間に満ちる哄笑に耳を塞いで顔を寄せればその鉄片を動かす振動が妻子を呼ぶ声である事に気がつくだろうが、黒鉄の鎧にはそんなものは何の意味も持たない。このミトナ・ラクナのすべてが同様の嘆きを発し、そこから続く舗装された道に新たな一片が加わるだけだからだ。

 死後の帝国ではデマーシアの王もノクサスの将軍もアイオニアの賢者もビルジウォーターの物乞いも彼に逆らう事は出来ない。

 ミトナ・ラクナが完成した時には生ある者の世界でもそうなるのだ。

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