書き留めその2 「SNSとネットのあり方」

 まず初めに、この記事は途中で誹謗中傷のことについて触れている。そこで念頭に置いておいてほしいのが、筆者の自分自身は誹謗中傷自体を容認したり、誹謗中傷をしている人を養護するような意図は一切ないことだ。
また、これは一個人である自分の考えであるということも承知してほしい。
それらを踏まえた上で、この記事の内容を読んでほしい。


 以前、小論文の課題をした際に、SNSについての課題文を出された。
それがきっかけで、SNSやネットについて今一度考えさせられることになった。
ごちゃごちゃになるのも嫌なので、ここに自分の考えをまとめてみようと思う。
それが万人に受け入れられるかどうかは別として。


①ネットの在り方

 まず、自分の中でネットとはどういうものなのか。
そもそもネットは「現実ではない」ものと考えている。これが自分の考えの全ての根幹である。
それを踏まえて、ネットとはどういう風にあるべきか。
結論としては、「ネットは現実のような堅い場ではなく、もっと自由で寛容であるべき場」である。
ネットというのは、極端に言えば、現実ではマナーやルール、コンプラ等でなかなか思い切ったことができない鬱憤をぶつける場であると思っている。そのため、ルールはほとんど存在しないし、よほどのものでなければ基本的にどんなものでも受け入れられるような場所なのだ。
だからこそ、2chなどの掲示板サイトや、TwitterなどのSNSが普及していったのだろうと思う。
ただ、近年はそういったSNSがメディアとしての役割も果たすようになったり、ネットを使用する人たちが増えてきたため、ネットがどんどん現実化し、現実とネットの境目が曖昧になっているように思う。
要はネットと現実が同じ在り方になってきてしまっているのだ。
これがここ数年の一番悪い流れなように感じる。


②SNSについて

 SNSについても正直ネットとあまり考えは変わらない。
ただ、SNSの「人との会話」という点においては、現実ではないネットにおいて一番現実と近いものがあるかもしれない。
文章のみとはいえ、会話をしていることには変わりないのだから、その部分だけは現実と同じように気を遣うべきである。
ただ、気を遣うのは「人との会話」だけであり、Twitterでいうただの「ツイート」の部分(要は自分の考えや思いを発信する時)については①のネットと同じように考えても自分は特に問題ないと考える。
内容が不快であればミュートなりブロックなりで見る側が自衛をすればいいだけの話であり、そこまで息苦しい配慮をするのは現実だけで十分であろう。
ネットという自由な場で、現実と同じような考えをしなければいけないのはとても肩身が狭いように感じる。


③誹謗中傷について

 最近、「誹謗中傷を無くそう」という動きが盛んになっているが、そもそも誹謗中傷を無くそうということ自体が自分はおかしいように思う。

おそらく今上の文を読んだ9割の人は疑問を抱いたと思うので、これから自分の考えを書いていく。


 ネットはよほどのことがない限り、匿名性が確保される場だ。その分、人間の素が出やすい。だからこそ、誹謗中傷もあって当然なのだ。
ただ、最初に書いた通り、自分自身は誹謗中傷を擁護しているわけではないことを改めて明記しておきたい。
ここで言いたいのは、誹謗中傷が良い悪いということではなく、「あって当然」であることなのだ。
もちろん、良い悪いの観点で見れば、ない方が健全であろう。だが、先ほども書いた通り、ネットというのは匿名性が確保される場であり、その分人間の素が出やすい。それに伴って誹謗中傷も出てくるのは当然だろう。
だからこそ、誹謗中傷は無くせないと自分は考える。


 ここからは完全に自分の思想になるのだが、誹謗中傷はネットで必要なものだと自分は思うのだ。

例えばの話、ネットで誰かがやらかして炎上したとき、そこではいろんな意見が飛ぶだろう。
擁護する意見も飛ぶし、非難する意見も飛ぶし、誹謗中傷も飛ぶ。
炎上した側はそれらの意見を見て「こういう行動をするとこうなる」という学びになる。第三者側はこの状態を見て「こういう行動はしないようにしよう」という教訓になる。
つまりはその人自身の成長に繋がるわけだ。この点は批判も否定も誹謗中傷も同じである。
要は誹謗中傷というのは「必要悪」なのだと自分は思う。

これが、自分が誹謗中傷はネットで必要だと考える理由だ。
ただ、この思想が誹謗中傷を容認するわけではないことは分かってもらいたい。ただ、必要だと思っているだけなのだ。


④最後に

 ①や②で、何度か「ネットは自由な場である」と明記したが、もちろんその自由には責任が伴う。

何をやっても自由ではあるが、道を踏み間違えたときの責任もあることを自覚することが、この自由なネットでは一番大事なことだと思う。

例えばの話、自分が悪いことをやらかし、何を言われても仕方ない立場であるにも関わらず、「誹謗中傷はやめよう」とほざくような、そんな責任感のなさだけは、最低限絶対に持たないような人間でありたい。


自由には責任が付き物だ。ゆめゆめ忘れるな。


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