戻れない航海
方位磁石のない道のり
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
なんて言葉をよく聞く。
死ぬのが確約された世界で、来るかもわからない未来を見る。
自分が辿ってきた道を確実に見返す術はなく、進む方向を示す指針もない。
人は何のために産まれるのか。
この世に生を受けてから24年と8ヶ月が経った。
恐らく人生で経験するであろう殆どのイベントは終わった。
幼少期から、学生へ、そして学生が終われば社会人に。
新しく触れることが減るため、歳を取るほどに時の流れを早く感じるという。
ここ数年は異常な速さで過ぎていった。
人の平均寿命は大体80歳くらいなのに、ここから先自分の肩書きが変わることは限られている。
夫になる、父になる、祖父になる。
ただ、この変化は自分次第で起きないこともあり得る。
学生になったり、社会人になったりと、時間の流れが自分をそうさせる事象は今後全くないと言っても過言ではない。
これから50年以上、死ぬまで時間の流れによって肩書きが変わることはない。
振り返れば後悔の連続だったのかもしれない。
以前書いたように、看護師になろうとしたのは間違いだった。
高校はもう少し勉強を頑張ってレベルの高いところを目指せばよかった。
そんな後悔の連続が今の自分を作っている。
だからその後悔を晴らすかのように今を生きている。
そんな今の連続も、いつか後悔に変わる可能性を秘めている。
それでも生きる理由はなんなんだろうか。
「できれば早めに寿命を迎えたい」だなんて思っていても言えない。
生きる事が義務になっているのに、なにが暇つぶしなんだろうか。
案外人は死ねないようにできている。
自分自身に生かされているのだ。
こんか皮肉があって良いのかだろうか。
人生には疑問がつきものだ。
昔、自分で自分の命を絶とうとしたことがある。
その時に感じた。
「自分の命を絶つ事には、異常な程の勇気と活力がいる」
幸いその時の私には活力が一切なかったため、「死ぬことすらめんどくさい」と思えた事で今がある。
その時吊ろうとした首を、今は振って音楽を聴いている。
多分私が今を生きる意味は、この世にまだ音楽というものがあるからなんだと思う。
私は音楽に生かされている。
誰も私を生かそうと思っていない音楽が、私にとって生きる意味なのだ。
そう考えるとなんだかこの人生も悪くないなと思えきた。
きっといつか死ぬだろう。
その時は、私の心に音楽が満たされた時なんじゃないかと思う。
そんな日に向かって今日も音楽を聴きながら進んでいく。
いや、音楽に導かれていく。
スニフ村
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