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北朝鮮に抱いた最初の違和感は「鉛筆」だった

鉛筆削りにハマった息子が、鉛筆を削ってはあれこれ塗ったり書いたりを繰り返している。微笑ましい。

そのとき、急にふと思い出した。


そう、学校で、誰かのお土産だったと思うんだけど、北朝鮮の鉛筆をもらったんだよね。
2Bだったような。

小学校から高校卒業までの12年間を、都内の朝鮮学校に通ってました。
(本人の意思ではなく、親の方針で、です)
これを念頭に置いて読んでくださいね。


当時、小学校低学年。さっそく使いますよね。鉛筆削りでゴリゴリ削って、そしたら、芯が折れた。

ええええ〜〜〜北朝鮮の大事な大事な鉛筆なのにぃぃぃぃ〜〜〜折れちゃった、バレたら怒られる〜〜〜〜〜

と思いながら鉛筆を削りなおして証拠隠滅し、素知らぬ顔でノートに何か書いたら、また芯が折れた。

オモニ〜〜〜〜!!!(心の叫び)

小学校低学年の頃はまだピュアで、学先生が言うことは絶対だと思っていたから、

・北朝鮮は世界で一番素晴らしい国で、
・国民はみんな幸せで、
・主体思想(ちゅちぇささん)は素晴らしくて、
・白頭山を掘ったら金銀が出てきて、
・日本で差別に苦しむかわいそうな在日のために、定期的に「教育援助費と奨学金」をどかーんと送ってくれて、
・アメリカの傀儡政権のせいで南朝鮮はひどいことになっているけど、
・1995年には必ず統一する

みたいなことを学校で聞かされて、ガチで信じていたのに、

なんでウリナラ(北朝鮮)の鉛筆の芯はすぐ折れるの〜〜〜〜〜!!!!!

とても不思議だった。

学校の先生は「大事に使いなさいよ」みたいな反応で、親に至っては「だって北朝鮮だから」と。

41歳の今だからわかる。いや、たぶん14歳で北朝鮮に行った私もわかったと思う。

「だって北朝鮮だから」。

でもね、学校で「ウリナラマンセー(訳:北朝鮮バンザイ)」という教育を受け始めて、教室に行けば黒板の上から金日成と金正日に見つめられていた小学校低学年の私にはよくわからず、「あー、なんか、あまり触れちゃいけないのかな」という記憶が胸に刻まれたのでした。

(「ウリナラって学校で習ったのと違うよね」という違和感が決定的になったのは北朝鮮に行った14歳の時なんだけど、まぁその話はおいおい)

そして、丁寧に大事に鉛筆を使い続けるクラスメートがいる一方で、私の北朝鮮鉛筆は筆箱から日の目を見る機会は減ったのでした。ちゃんちゃん。

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