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近隣のピアノと遅いめの朝食

「説明しないと分からないということは、説明しても分からないということである」という、1Q84(村上春樹)の言葉を置く場所がここしかなかった。


ねじを巻かない日に、あてもなく何かを書くというのは結構良いものである。行くあてがないというところが大事になってくる。行き先を決め目的を持って書こうとすると、ねじを巻いてしまわないといけなくなるから。

出来るだけ見切り発車をして、出てきた言葉をそのまま素直に書いてみるということがなかなか大事なことなんだと思う。辻褄を合わせる必要はないし、入口と出口が全然違う場所にあっても全然構わない。ただし、リズムというのが必要になってくる。


僕は今、実家の庭に座ってこれを書いている。今日は日曜日なのでねじを巻かない日だということになる。
蚊取り線香の匂いと、心地の良い風と、携帯から流れているNorah Jones。スピーカじゃないところが少しだけもったいないけれど、ねじを巻かない日のとても良い例だ。(ちょっと洒落た比喩みたいなものを使ってみたかったけれど、僕にはどうやらできないらしい。)


特に書くこともないけれど、あまりにも心地が良いので何かを書いてみたい気持ちになったのである。ワタナベ君はこんな時に手紙を書くのだろうけれど、僕には特に手紙を出す相手もいないし別に手紙を書こうとも思わない。手書きでの手紙はすごく時間がかかるし、あまり綺麗な字を書くことができないから。手書きではない手紙は、手紙とは言えない。



それにしても、蚊取り線香っていい匂いがするな。夏から、夏の終わりにかけての匂いと言ってもいい。蚊取り線香の匂いがなければ、それは夏とは言えないんじゃないかってくらいに蚊取り線香の匂いは役割が大きい。蚊取り線香の匂いを嗅ぎながら昼寝をするというのも悪くはないはずである。


だけど、一番良いのは読書をすることだと思っている。これはあんまり異論を受け付けたくはない。

「涼しい風、蚊取り線香の匂い、好きな音楽、外」
この時期の読書をより良いものに変えてくれる。良いとは?みたいな疑問が起きるかもしれないけれど、やってみたら分かる。「良い」のである。

それから、ここは別に人里離れたところにポツンとあるわけではないから、近隣の家からぼんやりと生活音が聞こえて来る。今は、ピアノの音だ。これがまた絶妙に素晴らしいし、あまりに上手すぎない場合はもっと素晴らしいが増してやってくる。

大事なことは「近隣の家から聞こえてくるピアノの音」ということであって、近隣でなければいけないし、ピアノの音でなければいけない。ギターの音ではいけないし、遠すぎても一軒隣でもダメなのである。ここで「近隣」についての説明をしてみても良いが、なんだか面白くなさそうなのでやめておく。やっぱり人は、「近隣」という言葉に対してそれぞれ自分なりの答えを一応持っておいた方が良い。特に意味はないけれど。


さて、今は11時である。早いめの昼食を食べる人、遅いめの朝食を食べる人、それぞれがご飯を食べ始める時間である。


風が吹いてくれないと少しだけ暑い。