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この木 なんの木 気になる木

散歩をしていて、ふと視界に入ったもの

この木はなんの木だったんだろう

高さは?大きさは?幹や枝はどんな形?
樹齢何年?どうして切られたの?
切られてどのぐらいの時間が経ったの?

沢山の些細な疑問がいくつも浮かんできた

ただの切り株といえばそれまでだが、その切り株は木が生きていた証拠である。
人には人の生き方があるように、木には木の生き方があるのだ。

ではこの木はどんな生き方をしたのか、私なりに考えてみることにした。

周りに松ぼっくりが落ちていて、隣の木もその隣の木も一列ずっと松の木だったから、この木も松なのかも。散歩道に沿って他の松が並んでいたから人工的に植えられたのかな。

切り株が周りの木と同じような太さだったからあのぐらいの背丈だったのかな。でもどんな形で枝を伸ばしていたのかまではわからない。

この木でたくさんの鳥がひと休みし、鳥が巣を作って子育てをしたのかも。
ベンチでひと休みする人の日差しを遮ってあげていたのかも。
散歩や運動をする老若男女たくさんの人や動物たちを見守ってきたのかな。

年輪を見ればどのぐらいの季節を巡ったのかがわかるらしい。木に詳しくないから分からないんだ。木はかなりの時間をかけて育つから私よりずっと先輩かもしれない。同年代もありえるのかな。

この木は切られてから時間が経ってるような気がする。もしかしたらこの界隈では先輩だったのかな。松食い虫という虫が悪さをしてしまって切らざるを得なかったのかもしれない。

この木がどんな生き方をしたのか、答えは分からないけれども木に想いを馳せることで木が生きていることを少しでも感じられる気がしてちょっと嬉しくなった。


そしてふと、祖父のことを思い出した。

私が高校生の頃、大好きだった祖父が亡くなった。祖父は農業一筋、働き者でなんでも率先して働く人だった。数字に強くて頭の回転がとっても早かった。嫌いなものは無く、なんでも美味しそうに食べ、魚は骨だけ残して全部平らげる人だった。礼儀には厳しかったがとても優しい人だった。

お葬式などがひと段落した時、母が私に言った

特別なことはしなくていいから、たまに思い出してあげることが大事なんだよ。おじいちゃんもきっと喜ぶから

私はそれ以来たまに祖父のことを思い出すようにしている。

髪を綺麗に七三にわけ、いつでも小綺麗にしている姿。
祖父母の畑に行った時、お昼ご飯に一緒に食べた鯨と赤貝の缶詰がとても美味しかったこと。
一緒にごぼうを掘ったことがうれしくて日記に書いたら学校の先生に褒められたこと。
春、タネを買いに行くときに着ていた背広姿。
祖父母の家に行くと黄色のボックスを引っ張り出してきて、ピーナッツやさきイカを一緒に食べることが楽しみだったこと。
病院にお見舞いに行った時の祖父の様子。
などなど。。

私は記憶力がいい方なので、その時の情景をほとんど鮮明に覚えている。(もちろん忘れているところもたくさんあるけれども)

祖父を思い出すことで、祖父が生きていたことを証明している気持ちになる。こんなに逞しくて優しい素敵な人が生きていたんですよと。

木について全く詳しくない私が、偶然出会った切り株を祖父に重ね、いろいろと考えてしまった。

おじいちゃん、向こうで元気にしてる?
私は今頑張ってるよ。見守っててね。

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