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あおぞらの証明 #1


俺は誰からも愛されることのない星のもとに生まれてきたんだと思っていた。

俺は飲んだくれで働きもしない親父に育てられた。

育てられたというのは語弊がある気がする。

正しくは親父と一緒に住んでいた。

ただそれだけ。

母親は俺が生まれた時に死んだ。

そのせいで、親父は飲んだくれになってしまった。

親父は働きもせず1日中家にいた。

だが、家のことは何もしない。

すべて俺の仕事だった。

茶色くさびた、踏むたびにギシギシ音を立てる階段を上った西の角部屋が俺の家だった。玄関の扉を開けるとすぐ右手に食器が山盛りになったキッチン、そこを越えるとビールの空き缶やカップ酒の瓶がそこら中に散らばったリビングが広がっている。部屋中にカビ臭さと酒の匂いが充満する6畳ほどのリビングと4畳ほどの親父の部屋があるこのアパートには俺の気の休まる空間などなかった。

「おい、裕(ひろ)」親父が俺を呼ぶ。

こういう時はカップ酒を持っていくに限る。

「わかってんじゃねえか。」

親父は扇風機にあたりながら、酒で真っ赤にした顔をこちらに向けて陽気に笑う。

酒の臭いに俺は顔をしかめる。毎日嗅いでいる臭いであるがこの匂いに慣れることは無かった。酒の臭いだけではない。こいつからは腐った人間のにおいがする。

「中学卒業したら働けよ。お前みたいなやつが高校行っても無駄やしな。そんな金があるんやったら、馬券でも買いたいもんや。まあボートでもいいな。お前の人生が成功する確率よりも、うんと可能性があるやろ。」

親父にとって俺は邪魔者だった。

母親を奪った邪魔者。

食費を使う邪魔者。

親父はまた陽気に笑って、再びテレビに視線を戻した。親父は人を見下すことにしか生き甲斐がないらしい。

高校に通うなんて俺にはありえない話だった。クラスで高校に行かないのは俺だけみたいだった。

夏休みを前に受験モードに学年全体が切り替わっていく。波に乗ることがないのは、俺を含め数人のことだった。だが俺以外に受験の波に乗らないのは、スポーツ推薦で進学先がほぼ決まっている奴だけだったが。

俺より頭が悪く素行の悪い奴でも高校へ進学する。まあそれは当たり前のことであった。高校を卒業しなければ、雇ってくれるところなんて片手の指が余るほどしかない。

つまり俺に将来の選択肢なんて無かった。どんなにバカで素行が悪くても、高校に進学

させてくれる親を持つ同級生を横目に見ながら俺は担任と就職先を探す毎日を過ごしていた。

「毎日勉強せえってうるさくてさ。」

「そうやねん。うちの親もやわ。」

放課後は毎日のように口うるさく勉強を強要させてくる親への愚痴であふれかえっている。

「おい、お前はいいよな。勉強しろとか言われへんやろ。でも、ろくに働きもしないアル中親父が親よりましか。」

俺をにやけ顔で見下してくる同じクラスの山本は、普段は俺に話しかけてこないくせにこんな時だけ俺に話を振ってくる。高校に進学させてもらえない俺にマウントを取りたいらしい。
俺も黙って聞いているほど大人ではない。

「ろくに働きもしないアル中親父の息子より、テストの点数が低いってのはどういうことなんだろうな。お前が通える高校があるなんて世の中終わってんな。」

俺は精一杯の嫌味を言ってやった。

山本の顔がタコのように赤くなり俺に殴りかかってこようとするが俺の後ろを見てやつの手が止まった。

またか。俺はそう思った。山本の顔から怒りが引いていくのがわかる。顔は赤いままなのだが。

「裕、またそんなこと言って。友達に喧嘩を吹っ掛けるのはやめてって言ってるでしょ。」

そう。そんな俺にも友達と呼べる人が1人だけいた。それは、俺の幼馴染の若松美咲だった。昔は俺よりずいぶん大きかった美咲だったが、気が付けば俺のほうが15センチも大きくなっていた。

美咲は誰からも好かれる明るい女の子だった。両親が関西の人ではないため、美咲は標準語と関西弁が入り混じった話し方をする。

彼女の家はこの町唯一のショッピングモールの経営者であったため、この町一番の資産家だった。ショッピングモールと言っても都会にあるものを想像されては困る。その程度のショッピングモールであるが、この町の人はそこに行けば何でもそろいそのショッピング
モールにあるものだけが俺たちが手に入れられるものだった。

流行おくれの柄シャツにラッパズボン、ハリウッドスターがかけていそうなサングラス。それがこの町の最先端であった。それでもこの町の買い物という娯楽を一手に担っているため、彼女の家の資産は俺には到底想像もつかないほどであった。そのため中学を卒業と同時に東京のお嬢様学校に進学することが決まっていた。

「山本君、裕がごめんね。許してくれない?」

「あっ、いや俺も言い過ぎたから。じゃあ。」

あいつは友達と一緒に帰ってしまった。俺ももう帰ろうと席を立った時、美咲に呼び止められた。だけど俺は構わず歩き出した。
「ねえ、裕 。」

美咲はそんな俺にお構いなしに再び呼びかける。

「なんやねん。お前とおるといろんな奴に目つけられんねん。」

俺は振り向くことなく学校の廊下を歩きながら返事をした。俺は美咲に話しかけられて内心うれしかった。しかし、それと同時に恥ずかしくもあった。美咲が駆け足で俺の横に追いついてきて話しを続けた。

「今日うちで晩御飯食べよ。お父さんが裕を連れてきてって。」

俺に笑顔で話しかけてくる。その笑顔に顔が赤んでいるのがばれないように裕は歩を速めた。

美咲のお父さんは人を引き付ける魅力のある人だった。髪に白髪1本も混じっていない身だしなみに気をつけた紳士的な人であった。そんな美咲のお父さんは貧乏で育ちの悪い俺にとてもよくしてくれていた。俺の親父と年はそう変わらない45歳前後だったが、見
た目は俺の親父よりも10歳以上も若く見えた。が、目の下のクマはいつでもくっきりとあり会社経営の大変さと年齢を感じさせた。

「うん、わかった。でも、俺に何の用なんやろ。」

美咲の家でご飯を食べさせてもらうことは何度もあった。だが、お父さんに呼ばれるなんてことは無かったから疑問に思い美咲に尋ねた。

「知らない。今日朝ご飯を食べているときに裕を連れて帰ってきてって言われただけだから。」

下駄箱で上履きを脱ぎながら美咲は答えた。

「荷物置いてから行くわ。多分17:30くらいになると思うけど大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。お父さん帰ってくるの18:00くらいやから。」

校門の前まで来て二人は別れた。

この時間に帰っても親父はいない。千鳥足でどこかをぶらついているのだろう。俺は鞄を

家において美咲の家へ向かった。

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