ABC順列事件 ~見逃された逆輸入

知り合いの息子さんが、学校の英語の宿題を見せてくれた。
外国人の先生が張り切って出してくださったというクイズの宿題だった。
でたらめな順番でつづられたアルファベットを並べ替えて、“スポーツに関することば”をつくれ、というものだった。
たとえば

(問)tcakre

(答)racket

といった具合だ。
だいたいは解いたが、ただひとつ、

(問)eatakr

というのだけが、マッタク分からない。
すんどめと、その男の子と、たまたま居合わせた別の知り合いのお嬢さんとで、ああでもないこうでもないと考え始めた。
が、いくらみんなで頭をひねっても、ナシのつぶてしか出てこない。
3人寄っても文無しだ。
鍵はrの扱いであろう、すべてはrが握っている、すべてはrになるというのが名探偵すんどめパターソンの推理であった。
つまり、raやreなど、rのうしろに母音をくっつけて「ラリルレロ」系の音にするのか。
それとも、arやerなど、逆に母音のうしろにrをくっつけることで、「アー」などと伸ばす音にするのか。
なんとなく、英語的なひっかけのパターンからいって、後者が正しいぞ正しいぞとささやく悪魔の誘惑が聞こえてくる。
そこで、見たことも聞いたこともない単語をいろいろと作っては眺めるという、すんどめパターソンの人生そのもののような地道な試行錯誤がくりかえされた。

(案1)eatark

「イーターク」?
なんだそれは。

(案2)keatar

「キーター」。
来たー! これならありそうだ。
辞書を引いて、撃沈。

(案3)teakar
(案4)arteak

いずれも轟沈。
ダメだ。

(案5)takear

「テイキーヤー」!
おお、実に英語っぽい。
きっとうしろの音節にアクセントのある、発音要注意な単語にちがいない。
たぶん南米あたりで独自の発展をとげたフット・サルに似たスポーツで、高得点につながる局面を指す最高にアツい言葉なのだ。
などと膨らんだすんどめの妄想は、辞書によって木端微塵に粉砕された。
くそ。
せめてiとかcとか、eをもうひとつとか、調達しちゃダメか。
むむむむ。
これは、やっぱり「ラリルレロ」作戦に変更か?

(とんで案100ぐらい)reatak

「リータック」!
いや、ぜんぜん英語っぽいつづりじゃないな。
どこにも英語っぽさが感じられん。

(案101)trakea

「トレイキー」!
非常に英語っぽい。
いいぞ。
いけるぞ。
しかし、トレイキーとはいったいいかなるスポーツだろう。
あんのじょう、辞書に撃破された。
とは言え、traという組み合わせは、すんごく怪しくないか。
transportとかtransformerとかextraordinary machineとかTransilvaniaのドラキュラ伝説とか、英語にはtraというつづりが多い気がする。
いや、Transilvaniaははたして英語かどうかビミョウだが。
すんどめは幼いころ、トランシルバニアとペンシルバニアの区別がついていなかったのだけれども、それは今回の件と何のかかわりもない。
これはいける。
いけるぞ。
トラ、トラ、トラだ。

(案102)eatrak

うむ。
きっと「落雁を食べる」という意味の熟語が合体してできた慣用的な動詞に違いない。
英検準1級レベルだ。
ところで落雁を食べるスポーツとは何だろう。
だいたい、eが1個しかないというのは、いまいましいにも程がある。
たとえば、つづりの最後がeである単語の場合を考えてみよう。
すると、英語に多いひとつのパターンとして、そのeは発音しないというcaseが考えられる。
ちゅーことは、その前は必然的に子音が1個で、さらにその前はただ1種の母音、aに決定だ!

(とんで案300ぐらい)ratake

おーっ。
takeが入っているあたり、信憑性が高くないだろうか。
でもこれ、いったいなんて読むの。
ここは2つのaをちがう読み方で読んで、それらしさを演出するしかない。
「ラテイク」ってな感じだべか。
……苦しい。
苦しすぎる。
女の子はすっかり匙を投げ、
「あーっ、気になるー! 眠れなーい!」
などと絶叫する割には意外にアッサリ帰ってしまった。
すんどめは思いついたつづりを辞書で引くだけでなく、
「いや、何やら新しいスポーツ用語やもしれぬ。なにしろ相手はネイティブの先生。日本の英和辞典にまだ載ってないような最先端のものが、彼にとっては常識ということも、あるいは。ムムムムム……」
せっせとグーグルで検索した。
が、そういうつづりの会社名とかサービス名はひっかかっても、スポーツ用語としてはことごとく不発。
「ほんとうに問題、まちがってないの!?」
「ほんとうにスポーツに関係あるの!?」
相談者に41回おなじ質問をした。
そこへ、今度はさらに別の知り合いの男の子が遊びに来た。
すぐに状況をつたえ、無理やり協力せざるを得ないムードをつくったところ……
彼はすかさず叫んだ。
「ああああーっ、分かった!! karate(空手)だ!!」
すんどめはまずズッこけた。
幼いころ通っていた英会話教室の外人講師が、
「ファミコンを英語でなんて言うか知ってマースか?」
「えーっ、知りたい!」
「気になる気になる!」
「教えて先生!」
「ハーイ。それは、family computerデース」
と言ったときと同じくらい派手にズッこけた。
つぎに失望し、そのつぎに怒り、しかしやっぱり感服した。
「やるな!」
とすんどめが礼賛するや、彼はこともなげに、
「グヘヘヘヘ、僕、英語よりもローマ字のほうが得意なんだ」
karateは立派な英語であり、ネイティブの先生から見ればそれは日本語由来の単語であろうとなかろうとスポーツに関係する純然たる英単語であって、したがって解答者たる日本の生徒がまさか空手を日本語として最初から思考の外へ除いていようなどとは思いもよらなかった、というのが本問の難しさの本質であった。
しかし、皮肉にも英語よりローマ字のほうが得意と自称する、いわばネイティブとは対極に位置する少年が、見事にこの謎を解いてみせたのである。
すんどめはただちに例の女の子へ正解をメールで伝え、正解者たる男の子のコメントを書き添えたのだが、そのとき、
「グヘヘヘヘ、僕、英語よりもローマ字のほうが得意なんだ」
と引用すべきところを多少省略し、
「僕、ローマ字のほうが得意なんだ」
って言ってたよ、と伝えたところ、返信があり、
「あいつのそのコメントに、軽くムカツいた」
あ、ごめん。
あくまで英語と比べての話ね。
ふつうの日本語表記と比べてローマ字のほうが得意って言ってるわけじゃないから、許してあげて。

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