『シン・ゴジラ』が目指したのは『日本のいちばん長い日』

映画『シン・ゴジラ』(2016年、東宝。庵野秀明総監督。長谷川博己主演)を、やっと観た。
観て分かった。
この作品が目指したものは、明確だ。
それは、『日本のいちばん長い日』(1967年、東宝。岡本喜八監督。三船敏郎主演)にほかならない。

『シン・ゴジラ』の最大の特徴は、さまざまな立場の人のさまざまな思惑が次々と複雑に交錯し、1つのことを決めるにもひどく手間がかかって混乱に拍車をかけるということの、生々しい描写に尽きる。
総理大臣はもとより、政府のさまざまな省庁を代表する閣僚たち、自衛隊の偉い人たち、警察の偉い人たち、東京都の地方行政をあずかる人たち、もちろんマス=メディア関係者、さらには米国の特使やフランスの大使、国連に多国籍軍……
実に多様な「肩書」がこれでもかと画面に現れては消える。
これこそ『日本のいちばん長い日』で明確に確立された手法である。
1945年の8月15日に、ポツダム宣言を受諾するという、たったそれだけの決定をめぐって、閣僚たちが閣議でも御前会議でもけんけんごうごう、互いの立場が全くかみ合わず、ために官僚たち、宮城の侍従たち、玉音放送に携わる放送局員らの仕事はいっこうに進まなくて、気の遠くなるような一進一退が続けられる。
そこに関東軍や陸軍参謀本部など、軍部のさまざまな部署の人間がそれぞれ勝手な思惑で暗躍し、事態はどこまでも複雑化して、収拾がつかなくなる。
ここで重要なのは、字幕である。
それぞれの人の肩書と名前は、その人の登場シーンで、下の方に字幕で出る。
「〇軍第×連隊副師団長 何野垂兵衛」
「〇省×局△次官 名無篠権兵衛」
といった具合である。
これによって、我々視聴者は字幕を読むのも、映像を観てセリフを聴くのも同時にやらなければならなくなり、大変忙しい。

この手法を明確に受け継いだのが、『仁義なき戦い』に代表される深作欣二監督や脚本家・笠原和夫の一連の作品群、特に笠原作品である。
「〇会系×組 二代目若頭相談役 何野垂兵衛」
という字幕が下に出ているときにはもう、その人物は、
「オヤッさん。
こりゃひょっとて、わしらのケツかいて〇〇と構えさせようちゅう、××が描いた絵じゃったんじゃないですかいのう?」
などと、複雑なご事情をお述べになる。
人物を把握するのとストーリーを把握するのを同時に行わなければついて行けず、大変忙しい。
笠原和夫が脚本を手掛けた『226』には、『日本のいちばん長い日』におけるそうした字幕と人物配置との関係性がそのまま純粋な形で受け継がれている。
『226』は、第2の『日本のいちばん長い日』と言ってもよいくらいだ。
また、余談ながら『日本のいちばん長い日』における、いかにもノン・フィクション映画らしい仲代達也のナレーションは、まぎれもなく後の『仁義なき戦い』や『仁義の墓場』、『柳生一族の陰謀』、『赤穂城断絶』といった深作作品におけるそれへとつながっていく。
即ち、この一見、複雑な現実をそのまま映画に詰め込もうとするあまり登場人物が増えすぎて、手元に分かりやすい組織図が欲しくなるような特徴は、視聴者にとって分かりづらさを生むことにはなる。
だが……

その代わり、『日本のいちばん長い日』にも『仁義なき戦い』にも、とてつもないリアリティが生じている。
我々は、文字通り本当にあったこととして、物語にぐいぐい引き込まれる。
それだけではない。
誰が主人公でもない、いや、誰もが主人公と言える、真の群像劇が実現している。
『日本のいちばん長い日』の主人公は、陸軍大臣の阿南惟幾(三船敏郎)であると見ることは、むろんできる。
しかし、では海軍大臣の米内光政(山村聡)は脇役なのかというと、決してそうではない。
少なくとも、阿南さんの思いを映す鏡としてだけ米内さんが出されているのでは断じてない。
総理大臣の鈴木貫太郎(笠智衆)も、陸軍省の畑中少佐(黒沢年男)も、宮城の侍従・徳川義寛(小林桂樹)も、情報局総裁の下村宏(志村喬)も、そしてもちろん昭和天皇(松本幸四郎)も、みな主人公である!
どんなに出番の少ない人にも字幕を用意し、その人にふさわしい登場シーンを簡潔に描写し、みんなが忙しくめまぐるしく動き回ることで、群像劇となっている。
これぞ、すべての人を生かし、真に人間を描き切ることに成功するための、1つの解であるのは間違いない。

『シン・ゴジラ』がそうした目標をじゅうぶんに達していたかどうかはさておき……
少なくとも、『シン・ゴジラ』におけるゴジラの上陸と首都襲撃は、敗戦時の日本人にとってのポツダム宣言であり、広島・長崎の原爆であり、また、90年代の地下鉄サリンであり、2000年代のテロであり、2010年代の大災害と原発事故そのものに他ならない。
つまり、『日本のいちばん長い日』におけるポツダム宣言をゴジラによって描くべく、同じ手法を目指す意思を強く感じずにはいられない。
そして、『シン・ゴジラ』の持つそうした強い意思を、すんどめはキャスティングにありありと見出した。
というのもこの『シン・ゴジラ』の中、写真でしか登場しない博士の役を演じているのは、何を隠そう『日本のいちばん長い日』を監督した、岡本喜八その人なのであった。

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