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やなぎだ けいこの店 #17「やっぱり おおかみ」

★「やなぎだ けいこの店」では、日々、我が家で選び楽しんでいる絵本や店主が読んだ本・最近おもしろいと思ったもの・こと・美味しいもの・やなぎだけいこレシピ、暮らしの中の発見・・・などなど、をマガジンにまとめ、紹介していけたらと思っています。★

今日のご紹介は・・・絵本「やっぱり おおかみ」

この絵本の初版は、1973年。今から48年前です。
その当時、こどもだった人も、もう、大人になっています。この本を読んだこどもたちは、どんな大人になっているのでしょうね。

「おおかみは もう いないと みんな おもっていますが 
 ほんとうは いっぴきだけ いきのこって いたのです。
 こどもの おおかみでした。
 ひとりぽっちの おおかみは なかまを さがして
 まいにち うろついています。」

こんなふうに始まる、このお話の結末を、皆さんならどう、描くでしょう?

「やっぱり おおかみ」 ささき まき さく・え

この〈おおかみ〉は私だ。

私は、この絵本をはじめて手にとって読んだ時、「このおおかみは、私だ。」と思いました。
正確に言うなら、「幼いころの私」だと思ったのです。

記憶にあるのは4歳くらいでしょうか。
外に出れば、近所には遊んでいる子どもたちが、たくさんいる時代でした。
みんな習い事や塾に行ってしまい、遊んでいる子どもがいない公園など、その時代には、誰も想像できなかったのではないかと思います。

公園でいくつかの子どもたちの輪があり、それぞれにあそんでいる。
でも、自分はどこにも入れない。
かといって、どうしても、入りたいか、と言われればそうでもなかったように思うのです。

そして、小学生になると、本や漫画、テレビの影響もあって、「自分にも〈親友〉と呼べるような、なんでもわかり合い、感覚を共有できる友達がいつか、できるんだ!」と思うようになりました。

でも、なかなか「心から親しく思える友達」は現れませんでした。

「みんなが、なかよくみえる」の幻想。

自分以外の子には、〈親友〉がいて、仲良く、楽しくやっているようにみえる。
友達がいないわけではないけれど、しっくりこない。
そんな違和感をずっと抱えていたのだと思います。
人と仲良くできない自分がいけないのかな?と悩んだりもしました。

大人になった今では、「ともだちが沢山居たほうがいい」ということそのものが、「幻想であり、刷り込み」だったのだな。と思えるのですが、その当時は、切実だったと思います。

〈おおかみ〉のように、あっちの輪、こっちの輪をちょっと隙間から覗いてみては、楽しそうにみえるけど、なんだか自分とは違う気がする。

〈なかよくみえる〉その輪にも、実際に、中に入れば、いろいろあり、自分が思っていたものとは、違和感を感じる。

そんな繰り返しだったように思います。

〈ひとりでいること〉を選択する。


居心地のよくない相手と、時間を過ごすことは、気を遣い、自分を消耗させるものだったと思います。相手にとても、楽しい時間になっていたかどうか・・・それも疑問に思えて息苦しく感じていました。

私は、人付き合いに疲れて、ひとりの時間を好むようになりました。ひとりの時間は、思っていたより、心地よかった。ひとりでいる時間は、自分のことを知る時間だったように思います。

・・・自分の好きなことは?
・・・嫌いなことは?
・・・自分はどうしたいのだろう?

周りに同調しない選択があるということは、〈自分〉を大事にすることであると、その時知ったように思います。

ともだちが100人できなくても大丈夫。

長男が、1年生の時、数日だけ学校にいったのですが、先生が「休み時間に、ひとりでいる子がいたら、かわいそうだから、声をかけてあげてね!」と言ったそうです。それを聞いて、長男は、「ひとりでいるのが、さみしいとは限らないのにね。ひとりでいたい子だって、ひとりでいたい時だってあるよね。」と言っていました。

今も昔も変わらず、世の中の子どもたちは、子どもたちの人間関係にこころを砕いているのだろうと思います。

誰か友達がいないと不安、グループの中に入っていないと、居場所がない・・・

そういう気持ちを、私も感じたことがあります。

学校は、同じ年齢の子どもたちが、ぎゅっと集まった場所。
同じ年齢だからこそ、〈お互いが子ども〉だからこそ、大変な事が多いと感じます。「子ども同士だから、すぐ仲良くなれるでしょ。」というのは、大きな勘違いだと思います。


「友達ってたくさんいないといけないの?みんなと仲良くしなくちゃいけないの?本当にそうかな・・・?」と投げかけてくれる人が、周囲にひとりでもいたら、子どもの頃の私は、こころが軽くなったかもしれないな、と、我が家の子どもたちの友達や、友人の子どもたちが、学校での人間関係に疲れている話を聴く度に思うのです。

「ともだち100人できるかな♪」というフレーズを耳にする度に、長男が、「ともだち、100人もいらない。何人かいたら、十分。」と言うので、「本当に、ともだちだと思える人が一生にひとりでも居たら、それはとてもラッキーなことだと思うよ。」と私は答えるのです。

これは、最強の「おまじない」。


今まで、様々な人間関係の中で生きてきて、自分が心地よいと思える〈距離感〉がわかるまでには、それなりの時間がかかったと思いますし、まだまだ、人間関係の中で、学び続けていると思います。

「やっぱり おれは おおかみだもんな おおかみとして いきるしかないよ」

おおかみは、吐き捨てるように、「け」と場面、場面で言うのですが、
それは、世の中の刷り込みや幻想、自分の思い込みに対してのもののような気がしています。

「おおかみ」は最後に、「自分は自分としていきるしかないんだよね」と諦めにも近い、「け」を言います。でも、そこには希望のような、明るい気持ちが、含まれている気がしてなりません。

私は、なんだか人間関係に疲れちゃったな~という時、この絵本を開きたくなります。

そして、「やっぱり、私は、わたしだもんね。わたしとして、生きるしかないもんね。」と、読み終えた後に、こころの中でつぶやいてみます。

すると、おおかみのように、「なんだか ふしぎに ゆかいなきもち」になるのです。

人間関係に、日々の暮らしの雑事に疲れてしまったら、みなさんも、この〈おまじない〉を、こころの中で唱えてみてください。最高に効果のある、最強のおまじないだと思います!

「私は、私でしかない。私として愉快に生きていこう!け!」

みなさんの暮らしの色が増えますように。 店主・やなぎだ けいこ


学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!