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スナフキン、やっぱり好きだ。

とある土曜日、テレビの向こうからスナフキンは言った。いつもの静かな様子で。

「誰かを崇拝するのは危険だよ。」

そう。そうだよね・・・。と深く頷いてしまった。

ある人が、なんだか難しいことを言っているのだけれど、それを理解できない。でも、相手は自分にとって尊敬すべき存在で、言ってることを理解できないのは、自分の学びが足りないだけなのだ。そういった部分があるにしても、誰かを、何かを、盲目的に「崇拝」してしまうと、なんだかおかしなことになると思う。

「その人の理解が深ければ深いほど、物事を誰にでも理解出来るように、わかり易く説明できるものだ。」というようなことを吉本隆明さんが書かれていたのを目にした。

そんなことを考えていた日、お風呂で長男がこんなことを言った。

「人は、言ってることが全く反対になったりすることがあるよね。きっと、自分の中で考えが変わっちゃうことがあるんだね。」

なるほど。

「あの人は言ってることがすぐ変わる。矛盾している。」とかではなく、「人の考え方は変わるものだ。」と彼は認識しているようだ。

「人の考え方は常に変化するものである」。

この様に捉えられるのであれば、盲目的に誰かを、何かを崇拝することなく、自分が生きたい方向(行きたい方向)に生きていく為の大きな力のひとつになるだろうなぁ。日々の中で、私がつまずくような出来事も彼にとっては問題にさえならないのだ。うらやましい。笑

「うん、そうだね。どんな人の話も正しいとか間違っているとかではないから、その話を聞いて、感じて、考えて、自分はどう思うか、どうしたいか、どうするのがいいか、って自分で考えて決めることが大事かもしれないねぇ。〈絶対〉は基本的にないんだろうなぁ・・・。」と話した。

相手に委ねてしまこうとは、何かあった時、言う通りにして失敗したと感じた時に、相手の責任にしてしまう可能性が高いのではないだろうかと思う。
そして、成功した時には、また手放しで崇拝することになる可能性が高まるのだろう。

誰かを崇拝することなく、取り入れられる部分は取り入れ、感じ、考え、自分はどうするのか、を決める。毎日はこの繰り返し。繰り返しでしかないと思う。そして、あまり考えすぎずに「あぁ、そうなんだね~。」ってやんわりと聞き流したり、忘れることも必要だったりする。

スナフキンが好きなのだけれど、今年は、くまのプーさんに近づいていきたいと思うのだ。

学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!