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「Left-handed genius!」左利きとして愉快に生きる。

先日、noteにて、「あかねさん」のこのような興味深い記事を読ませて頂きました。

左利きである私は、とても興味深く読ませていただきました。

父親が完全な左利きで、私も左利き。

小学校就学時に、「日本語の書き順を考えると、右手で書けるほうが便利かもしれないよ。」と担任の先生に言われ、単純で真面目な小学校一年生であった私は、「便利!なるほど!両手が使えたら、便利かも!」・・・と毎日、右手で書く練習をしていました。

しかし、基本は左利き。右手で字を書くようになっても、左手でも字を同時に書いたらどうなるか、とか、右手で字を書きながら、左手に赤鉛筆をもって、丸付けできるかな?などを試している子どもでした。結果、字は右でも書けるようになりましたが、線を引く、絵を描くなど、その他の多くは未だ左手が主です。

左投げ左打ちの父親が熱血巨人ファンで、半ば強制的に地域のソフトボールクラブに入れられ、いやいやながらも、謎の負けず嫌いを発揮し、1年生から6年生までびっちりソフトボール生活を送りました。

父は、勝手に「巨人の星」的な要素を求めていたのかもしれませんが、私はどこ吹く風。遊びたいし、なんで学校が終わってから練習しないといけないのかとブーブー言いながら練習に参加し、コーチに注意されては、軽くふて腐れ、朝練でマラソンをさせられるのが嫌で、「雨だといいな~」と恨めしくカーテンを開けて外を覗いたことを未だに覚えています。到底、星飛雄馬になれるはずもなく・・・。

左利きだと、守るポジションも限られています。野球をご存知の方は、イメージしやすいかと思いますが、左利きは、右手にグラブをはめます。ということは、右側にいくボールを取るのは有利です。逆に、左に飛ぶボールを取る時は逆手になってしまうのです。塁に出た相手走者にタッチする時なども、利き手がどちらかで差がでてしまう。ですから、内野だったらファースト、あとは外野だと問題なく守れる訳です。スポーツでは、左利きが優位に働くこともありますね。

野球の話はこの程度にして、生活面のことを思い出して行こうと思います。

最も気を使うのは、食事の時。

座る位置を気にしないと、右利きの姉と肘がぶつかり、いざこざの原因になることも多々ありました。いちいち怒られるのが面倒なので、先に気をつけた方が楽だと思い、食事の時には、常に自分の座る位置に気を配るようになりました。

家族内でのそんなやりとりをはじめは窮屈に感じていましたが、大人になり、誰かと食事に行く際などは、配慮するのが当たり前の事として身についていたので、必要な経験だったなと思います。

他に不便だと感じたことを思い出してみると・・・

右利き用のレードル(お玉)が使いにくい 

襖などの引き戸の開け閉め 

自動改札(手がクロスするのでスムーズに通れない。切符を入れそびれ、何度も改札が閉まって通れなくなる。)

自動販売機(お金を入れる時、手がクロスするので、お金を落とすこと多々あり。)

ハサミ(しらないうちに適応。左利き用ハサミが使えないことに衝撃。)

缶切り ドアノブ 急須の持ち手 コード式のアイロン キッチンの仕様

電気機器などのスイッチの位置 編み物のやり方 

定規のメモリが見えにくい(30センチ定規であれば、0からではなく、30センチがスタートです。)

洋服や着物なども、右利き仕様かと思います。

茶道・琴・三味線など習い事の類は、基本的に右利きの動きが多いので、なかなかしんどかった覚えがあります。

大半の右利きシフトに自分でも気が付かないうちに、適応してきていると思うのですが、「やりずらい~」「使いにくい~」と思うことは、もっとあったのだと思いますし、現在もあるのだと思います。

子どもたちに、何か作業的なものを教える時は、横に並ばず、向い合せになるようにしています。鏡方式です。

今まで左利きとして生活してきて、不便なこともそれなりにあるのに、不便さを然程、感じずに来た部分があります。

人によっては、利き手を矯正されたことで、生きる上で違和感を覚えたり、生きづらさを感じる。矯正により、脳に負担がかかる方もいらっしゃるのだという話をホームドクターから聞き及んだこともあります。

先に紹介させたいただいた「あかねさんのnote」のコンサルタントの方もそのような経験をされてきたとのこと。

国や、家庭環境などのバックグラウンドでも、その影響はかなり違ってくるのだと思います。

私の場合は、父が左利きであったので、矯正されることもなく、字を右でかけるといいと言われた時も、「あ、両手が使えたら便利かも」くらいの感覚でした。

「いかに、右利きのものを、左利きとして使いこなせるか?!」という視点がどこかにあり、自分の使い易いやり方を獲得する喜び、みたいなものがあったように思います。

こどもの頃、缶切りを自分で使った時もそうでした。

右利きの人を観察していると、缶が開く時は、缶切りが手前に動く。

う~ん・・・左手でやったら?どうやったらできる?おお!私がやると、缶切りって向こう側に進むんだ!と、感動し、今も缶切りをするのが好きです。(今は、缶切りが無くても開く缶詰が増えましたね!それはそれで、スゴイことです。)

そんな話を夫にしたら、

「産まれながらにして、マイノリティの世界で生きてきたんだねぇ。」

「だから、マイノリティなどの話題も特に違和感なく、自分のこととして、取り込んでいるのかな。」

あ、初めて気がついた!

そう言われれば、そうだったかも。

我ながら、気がつくのが、遅い・・・

確かに、小さい頃から、少数派を経験してきていました。少数派であることに気が付かず、「それが、自分のいる場所」として、楽しんできた部分があるのかもしれません。


20代の頃、ケーブルテレビの番組で、若手のタレントさんが、英語を学ぶために海外で旅をする番組がありました。お金をかけないいきあたりばったり感の旅で現地の方と英語で交流するものでした。

タレントさんが現地でお土産を書い、それが視聴者プレゼントとなるのですが、それに応募したら、当選したことがありました。タレントさんが、突然、お土産を家に届けてくれるという企画でした。

当選したのは・・・南アフリカの太鼓と、アメリカの左利き道具専門店のプレートでした。

そのアメリカ土産のプレートには白地に赤で、くっきりと、こう記してありました。

「Left-handed genius!」


私の中には、この文字が刻まれているのかもしれません。

そして、左利きであることを意識する出来事に遭遇する度に、脳内にこの言葉と漫画「スラムダンク」の桜木花道の画がぐるぐるとリピート再生。

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「左利きって天才ですから!」


・・・我ながら、単純にできている部分に感心します。

日本から離れた遠い国の誰かが、誰に向けてつぶやいたともわからない言葉に、知らないうちにずっと支えられてきたのだなぁ・・・・。

あとスラムダンクという漫画と桜木花道にも。

そういうことって、あるんですね。

アメリカのどこかの左利き専門店の方、ありがとうございます!

スラムダンクにもありがとう!

きっとこれからも、左利きで不便なことがあるかもしれませんが、左利きとして愉快に生きていこう!と思っています。

なんてったって、「Left-handed genius!」ですから♪


そして、ドイツに行って、左利きコンサルティングを訪問してみたい、という野望が増えました。あかねさん、素敵な投稿をありがとうございます!

そして、こんなお店もあるそうです。

左利きの道具店。


学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!