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ラオスの長い夜

20歳の夏、大学3年生の時の事だった。
おれは夏休みだというのに、暇を持て余し、どこかへ行かなければならないと使命感に駆られ、そわそわしていた。
おれはラオスへ向かう事にした。
理由は以前ベトナムで知り合った人が「ラオスは面白い」と教えてくれたことがあったからだ。
彼曰く、ラオスには場所によってはその辺にマジックマッシュルームが生えていたり、シャーマンがいてスピリチュアル体験ができるとのことだった。彼の話には馴染みないカタカナがたくさん出てきてワクワクした事を覚えている。

思い立ってからすぐに航空券をとり、まずはタイのバンコクへ向かった。
バンコクで数日過ごしたあと、夜行列車に乗って、タイの北部ウドンタニに向かい、そこからバスでラオスとの国境を越えるルートで入国した。
ラオスに入国後、北部の町バンビエン行きの長距離バスに乗った。バンビエンにて3日間滞在した後に、更に北の町ルアンパパーンへの長距離バスに乗った。
ルアンパパーンは仏教が盛んな町で、至る所に寺院があり、早朝には決まって僧侶が町を練り歩き、食料などを町の人から恵んでもらうという習慣が見られることで有名だった。
おれはルアンパパーンで3日間ほど滞在した。
泊まった宿は茨城で見かけるような大きな一軒家を宿用に改築したようなものだった。たしか一泊800円ほどだったと思う。宿の庭には大きな犬がいて、かみつかれないかと不安だった。

宿のオーナーのおじいちゃんは長年農業に従事していたかのような、日に焼けて、筋肉質だった。にっこり笑ったしわが顔に深く刻まれていた。年は60ぐらいに見えた。

ラオスの8月は日本よりも暑かった。木々の緑は深く、舗装されたアスファルトの反射はまぶしかった。近くを散歩して、ビールを買って宿に戻り、庭の木陰のベンチで飲んでいるとオーナーのおじいちゃんがきて、いろいろ質問した。どこからきて、どこに行くのか。おれはルアンパパーンに数日滞在したら、首都のヴィエンチャンに行き、その後日本に戻るつもりだと言った。それを聞くと彼は、ヴィエンチャンまでのバスの手配なら任せてくれと胸を張った。彼が信用できるかどうかあまり分からなかったが、なんとなくその人懐こい笑顔をみてたら頼みたい気持ちなっていた。

ヴィエンチャンに向かう前日、彼はバスの手配をしたと、教えてくれた。彼にバスの代金である3000円を渡した。彼曰く、バスターミナルまでの送迎してくれるトゥクトゥクが明日の午前11時に来るとの事だった。見ず知らずのおれの面倒をみてくれて本当の感謝したい気持ちだった。

次の日、9時におきて水しか出ないシャワーを浴びて、朝食のサンドイッチを近くの売店で買い、少し散歩した後、11時前に宿の庭のベンチで待っていた。するとおじいちゃんがやってきた。「バスはすまないが手違いがおこり、次の便しかとれなかった」と言った。

今それを言うかと思ったが、彼を責めても状況は改善しないし、仕方なく受け入れた。結局、11時半に出発するバスに乗るはずが13時半出発のバスに乗ることになった。

あまり計画的ではないおれは11時半のバスに乗れば19時半頃にヴィエンチャンにつき、適当に宿を見つけ、飯を食って快適に過ごせるだろうと考えていた。バスの出発が2時間伸びてしまったが、ヴィエンチャンにつくのが21時半ごろであれば問題ないだろうと楽観的だった。

バスに乗った。ぼろぼろのバスターミナルに似合わない立派なバスで、空調も程よくきいた快適なバスだった。車内を見渡すと俺以外に観光客は2人の白人だけだった。そのほかは見るからに現地のラオス人という雰囲気だった。

13時半にバスが走り出した。バスターミナルは舗装されておらず、砂煙が舞った。舗装された国道走り出した。ラオスでは町から町までの間はただ山道が続くだけだった。山道はどこかノスタルジーを感じさせるような深い緑で空はどこまでも澄んだ青だった

バスは約2時間ごとに停まった。バスの添乗員の男が何か話すが、ラオス語のため何を言っているのか分からなかったが、トイレ休憩や乗客の乗り降りのためだと思う。

停まる場所はパーキングエリアの様な売店や食堂のある施設や、小さな売店があるだけの場所や、ただの野原だった。ただの野原に停まった時は男女関係なく、各々草木の陰でトイレを済ましていた。

バスはひたすら山道を飛ばしていた。時おり、道路沿いに集落が並んでいる地域を通ることもあった。

軽く眠ったりする以外にやることもなかった。

いつの間にか外は暗くなっていた。明かり一つ見えない道だった。集落を通過したときは木造の小屋の玄関先に吊るされた白熱球の灯りの下で、老人が竹籠を編んでいるのが見えた。まるで遠い昔の世界にタイムスリップしたかのような感覚だった。

また眠っていた。バスが停まり、目が覚めた。
腕時計が示していたのは21時ごろだったと思う。辺りには大型トラックが数台停まっていた。添乗員が何かをアナウンスし乗客の半分ぐらいが降り始めた。何を言ってるか分からないが、隣に座っていた30代ぐらいの男が、「ほら、おまえも降りろよ」というような身振りをしたので、とりあえず降りた。降りると数人が道端で小便をしていたので、おれも小便をした。

バスから降りて気づいたが道路が崩壊しており、バスは本来道路ではない坂を登ろうとしていたのだ。

バスは進みだし、急な斜面を登り始めた。おれはバスから50メートルぐらい離れていた。斜面を登るためには少しでもバスを軽くする必要があったのだろう。何人か男がバスを押しているのが見える。おれが乗っていたバスが斜面を登っていき、続いて別のトラックが登っていった。50メートルぐらい先でバスが停まり、バスに乗り始めるのが見えた。
登り切ったバスに乗客が乗り込む姿が見えた。

乗り遅れまいとバスに向かって急ぐ。だが、驚くべきことにバスはおれを待つことなく、ゆっくりと走り出した。反射的に全力疾走でバスを追った。しかしおれがスピードをいくら上げても、バスは更にスピードを上げ走り出し、バスとの距離は徐々に開き、ラオスの暗闇に消えていった。どうしていいのか分からず、道端に停まっているトラックの窓を叩きまくり、運転手に尋ねた「このバスはヴィエンチャンに向かうのか?おれの乗っていたバスが行ってしまった!ヴィエンチャンに行くなら乗せてほしい!」パニックで半狂乱になっていたため、おれは英語とも日本語ともつかない謎の言語でまくしたてた。だが、トラック運転手は真顔で首を横に振るだけだった。そんな調子で他に2台のトラックの窓を叩き、運転手に謎の言語で尋ねたが、同じ反応だった。「何を言っているのか分からない」なのか「お前みたいなよくわからん奴を乗せたくない」なのか分からないがとにかく首を振るだけだった。

トラック運転手に構っているこの時間にも、バスはヴィエンチャンに向け爆走していると考えると、走り出さずにはいられなかった。もう見えなくなってしまったバスを追いかけ暗闇を走った。

10分ぐらい走ったと思う。半狂乱のおれはいつしか冷静になり走るのを止め、歩き始めた。バスに追いつけないと気づいた。

幸いな事にパスポート、財布、携帯(wifi環境でしか使えない)は常に身に着けていたので無事だった。

この道を歩き続ければいつかヴィエンチャンに着くのだと謎の自信があったため、明日、明るくなったらヒッチハイクして向かってもいい。もし、今晩集落を見つけられたら泊まらせてもらえないか交渉してもいい。現金もいくらか持ち合わせていた。日本へ帰国の日まで少し余裕があったから何も問題はない。

急にポジティブな発想が湧き、心に余裕を取り戻したおれはふと夜空を見上げた。紺色のキャンバスに海の白い砂を散りばめたような、今まで見たことがない見事な星空が広がっていた。英語も日本語も通じない国の山奥に体一つで放り出されると、意外にも感じたのは無力感ではなく、まぁなんとかなるかという楽観的な感情だった。

21時半ごろだったと思う。
暗闇に慣れたおれの目は前方から歩いてくる人を捉えた。

徐々にその男の表情が判別できるぐらいの距離になった。彼はおれが乗っていたバスの添乗員だった。ラオス語で話すため、何を言っているのか分からなかったが「何やってんだよ、ぼんやりしてるとまたおいてくぜぇ?」みたいな表情だった。

彼についていくと道端にバスが停まっていた。

おれはずっとにやにやしている添乗員に怒っていた。

バスに乗ると乗客達は笑いながらおれに声をかけた。「何やってんだよ」「まったく間抜けだなぁ」などと言っているかのようだった。

おれの席に座ると隣の男がにやにやしながら話しかけてきた。身振り手振りから察するに「まったく困るぜ、おれが気づかなかったら、おまえは山に置き去りだったんだ、感謝しろよな~」と言っているようだった。

一人でムスッとしていたおれだったが、バスが再び走り出し、10分もすると置いてかれた事などどうでも良くなった。

その後、ヴィエンチャンに着くまでに、隣の男は途中で降り、入れ替わりに座った比較的裕福そうな男はおれが日本人だと分かると日本についてあれこれ質問してきた。
途中休憩で停まった食堂では別の乗客が置き去りにされた。バスが走り出してすぐに周囲の人が気づき事なきを得た。置き去りにされた人は戻ってくるとおれの時と同じように和やかな雰囲気で迎えられた。
間抜けなのはおれだけじゃないんだと少し安心した。

結局、ヴィエンチャンに着いた時には0時を回っていた。ヴィエンチャンの町は完全に眠りつき、真っ暗だった。飯屋どころか今日泊まる宿は見つからないかもしれない。最悪、寝袋で寝るしかないかと思っていると、「どこかこの時間でも開いている宿は知らないか」と同じバスに乗っていた観光客らしき2人の白人が尋ねてきた。おれも知らないと答えた。

そうして3人で宿を探すべく暗い町を歩き始めた。

#キナリ杯 #夏休み

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