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尊さ


「神さまなんていねぇよ」


ひとりの患者が救急車で運ばれてきて。手術を受けたあとにICUに戻ってきた患者を眺めながら。先輩のひとりは吐き捨てるようにそう言った。


人工呼吸器に繋がれて眠るその人は。まだまだ働き盛り。幼い子どもの子育て真っ最中で。しかし脳の奇形した血管が破綻してしまったおかげで生死をさまようことになってしまった。


本人の想い、幼い子どもをのこしたパートナーの想い、子どもたちの行く末。そうしたものに思い巡らせば巡らすほど、これから待ち受ける苦労・苦悩しか浮かばなくて。


神さまなんていねぇよという先輩の言葉に。ほんとにその通りだなと強く共感する。なぜこの人なんだろうと。そう思う。


幼い子どもを残して逝った、別の人を思い出す。意識のないその人に抱きついて無邪気に話しかけていたあの子は元気だろうか。


死という概念すら理解できないほどに幼かったあの子は、親がただ眠っているとしか思わなかったのだろう。「元気になったらまた〇〇へ連れてってね!」というその子の声が脳裏から離れない。もうだいぶ時間が経っているというのに。


同じ脳の病気ながら目に見える後遺症がなく退院していく超高齢者がいると思えば。重度の障害を残してしまったり、家族を残して逝ってしまったりする若い世代の人たちもいる。


ああ、命はなんて不平等なんだろう。神さまがいるならこんな仕打ちを許してるのはなぜだろう。そう考えてしまう。


もちろん障害なく退院していく高齢者たちになんの罪もないのだが。寿命の間近な人たちが助かって、まだ未来があるはずの人たちが命を落としたり障害を残したりするのを目の当たりにすると。神さまなんていねぇよと吐き捨てたくもなるものだ。


そんな体験と思いをしている最中。


友人夫婦から嬉しい知らせが届いた。母子ともに無事で、赤ちゃんが産まれたとのこと。


新しい命の産声が聞こえてきそうなこの写真を見ながら。あまりにも尊すぎて涙がぽろぽろとこぼれた。ああ、やはり命は尊いな。素直にそう思った。


生命の誕生はまさしく神秘的で。幾億もの中から選ばれしものが受精して。その後に細胞分裂を繰り返しながらさまざまな臓器が発生していき。母胎に着床して一体となって命を育むさまは奇跡としか言いようがない。


出産にいたるまでの過程は母子ともにまさに命がけで。日本の医療が高度に発達しているおかげで周産期の死亡率は微々たるものだけれども。医療後進国ではいまだに10万件あたり約1000人もののお母さんたちが亡くなる命がけのものである。


神さまがいるかどうかなんて分からないけど。命は不公平で不平等だと感じることはあまりにも多いけれど。新たな命の誕生は心の底から尊いと思う。命は尊いものだということは分かる。


いろいろと思うところはあれども。命の誕生には心からおめでとうとの祝福の言葉をかけたいと思う。


本当に本当におめでとう。産まれてきた命が幸せでありますように。健康で笑顔のあふれる日々が続きますように。


喜びの涙とともに。友人夫婦と新しい命にこのnoteを捧ぐ。




だて。



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