私の出産(子宮内反症)

8年も前のことをと今とも思うが。。。
書きたかった。
自分の中で整理したかったんだと思う。
ある女優さんが書くことは浄化だとエッセイで語っていたが、多分そういう気持ち。
あと、あの頃の不安でいっぱいの自分に寄り添いたい気持ちと、今、どこかで同じようなことで不安な方にここにもいるよ。という気持ちと。

予定日から5日経った日、生まれる兆候が全くないため入院となった。
午前中バルーンを入れて、午後から1時間に1錠飲む促進剤と点滴を始めた。
もう数年前だからこの辺りは記憶は曖昧だけれど。
夕方から痛みがきてたけど、夜ご飯は食べられた。
夫は小さな丸椅子で本を読んでいた。
夜になりLDRから個室に戻って、定期的に来る痛みに耐えながら眠る。
痛みが定期的にくる中、夜中の2時に今までに感じたことのない痛み。
あまりの痛さに嘔吐。
もともと生理痛が重く、あまりの痛みに立てなくなり意識が遠のくのは何度も経験していたが比べ物にならないぐらいだった。
痛いのに意識は遠のかない。すげぇどうなってんだと思った。
その定期的な痛みに耐えながら、朝8時、LDRにうつる。
痛みも強くなってきて叫ばずにはいられず「痛ぁぁぁああい」と陣痛が来るたび叫んだ。こんなにずっと痛くて、こんなに叫んで私はちゃんと子供を生み出すことができるのかと不安になった。
子を産んだ女性はみんなこれを経験しながら街を涼しい顔して歩いているんだと思ったら、申し訳なさすぎてみんなに頭下げて歩きたくなった。

どのぐらい時間が経ったかは分からないが、助産師さんからトイレに行けるなら行ってみてと言われて、「無理無理無理無理」と思ったが、少し動いたりしたらお産進むかもしれないと言う言葉に「や、やむをえん。。。」

陣痛が引いたタイミングで起き上がりすぐそこのトイレに向かう。
少し出して戻る。
そこから少しお産が進んだ気がする。
頭が出てきたけど、膜が破裂しないとのことで助産師さんに切ってもらって、それからいきんでというタイミングで何度か試すも、初めての力の入れ方でうまくいかない。
呼吸法を助産師さんが横でアドバイス下さるもその時の私には難しすぎて「で、できません」と。。。違う呼吸法にしてくれた記憶がうっすらと。。。
そして夕方ついに!!
「ミー!ミー!!」
ちっちゃな猫ちゃんみたいな泣き声で息子が産まれた!!
かわいい!!かわいい!!かわいい!!
手足のほっそい華奢な赤ちゃん!!かわいい!!
でも嬉しい!!感動!!よりも今体験したことの恐ろしさとこれからの不安がかなりあった。
そして胎盤を出す後処理をしていたその時事は起きた。
ちょっとパニックで記憶が曖昧なのだけど、
助産師さんがぼそっと「ナイハだ」と言ったのは覚えてる。
気がついたら体を拘束され、酸素マスクをつけられて、夫はカーテンの外に出されて「早く先生を呼んできて!!」「〇〇さんしっかり!!」と周りが騒がしくなった。自分の身に何が起こってるかさえ分からない。その時痛かったかどうかは記憶がない。

先生がきて処置をしてくれるのだけど陣痛の痛さとは比べ物にならないほどの激痛が走る。痛すぎて右足のあたりにいた看護師さん思いっきり蹴った(ごめんなさい)。その痛みを思い出そうとしても思い出せないくせに今でも身の毛だけはよだつぜ。
夫曰く病院全部に響くほどの「痛あぁぁぁーい」を叫んでいたらしい。もともと声大きいからなぁ。

処置の後助産師さんに説明されたのが
「子宮が靴下みたいに裏返ってしまったのよー」

その夜携帯で調べたところ
『子宮内反症』
というものだと知った。
(今思うと最後まで先生から詳しい説明なかった気がする。。。)

そしてその処置の方法というのが「手で元の場所に子宮を戻す」

怖い。今思い出しても怖い。
そりゃ激痛なわけだ。
私の場合は全部子宮が外に出てきてしまっていて
とにかく早急に子宮をお腹に戻すために麻酔もなかった。

幸い出血は輸血するほどではなく、一晩絶対安静でお腹の炎症を落ち着かせるためアイスノンみたいのを乗せられる。動けないけど赤ちゃんが横に来てくれる。
彼(赤ちゃん)はとても落ち着いていた。
あくびしたり、もぞもぞ動いたり。
お腹から出てきたの気がついてないのではと思うくらい呑気な顔。
かわいい。とにかくかわいい。

でも、私の心は「恐怖」がかなりの割合を占めていた。

自分で調べた『子宮内反症』は約2,000〜20,000件に1件(幅広!)起こる症例らしい。激痛のためそのショックで、出血多量で亡くなるケースもあると。

おいおい、紙一重、ちょっとの匙加減で危ないところだったじゃないか!!

私の場合出血も多めぐらいで済み、次の日には通常の部屋で赤ちゃんのお世話をすることができた。

しかし寝ずの出産、今までに経験のない痛みの連続、これからの育児の不安の中で、なかなか「あーよかった!」とはならなかった。

私この恐怖感をしばらく引きずった。
かわいい息子と一緒にいても「あの時もし・・・」という恐ろしさともずっと一緒だった。
息子の1歳の誕生日は前日から思い出しちゃって冷や汗かいて一睡もできなかった。
本当にずっと怖かった。

2歳の誕生日にはようやく、経験として消化してきたかも?という感じだった。

出会ったお母さんでいろいろお産の話をきくとほんとさまざまで、ありきたりな言葉だけど本当に出産は奇跡なのだと思う。

この奇跡という言葉は美しく響くけど、なんかそんな美しいもんじゃないというか、もっと混沌や混乱やぐちゃっとしたもので、沢山の不安や辛さや痛みや恐怖があるんだなと。だからこそ、その小さな命の光を奇跡と呼ぶのだと。

その子も8歳です。
そして、怖い怖いとこの経験を引きずりながら3年後も2人目も出産。(このことも今度書こうかな)

いつか、この経験を文章にと思いながら長すぎる時間がかかってしまった。

にしても文章にしたら結構細かく覚えてたなぁ。

あの頃の私、大丈夫。大丈夫だよ。乗り越えてくれてありがとう。出産後細い赤ちゃんでおっぱい足りないんじゃと心配したり、されたりしたけど、よく食べてるのに今も細いよ、大丈夫。いろいろそれからもないわけじゃあないんだけど、それでもとてもカラフルで楽しい日々だよ。

そして同じ症例で不安な方、稀な症例だけに、なかなか出会わないけど、ここにいます。何もできないけどここにいます。
子育てにイライラしたりワクワクしたりして過ごせています。

本音を言えば、病院にはもっと寄り添って説明をしてくれてたら不安の消化が違ったんではないかと思ってはいる。出産と育児のパニックでかなり辛かったけど、フォローの少ない病院だった。
2人目がとても暖かく頼りがいのある病院だったから尚更そう思うんだろうけど。

ただ、それだけで子育ての充実度が変わるから病院とても大事。出産を取り扱う病院や先生が減っていて大変なのは重々分かってるけど。でも、それでもより暖かく安心できる環境での出産が少しでも広がることを願って、私のこの文章を終わりにします。

なんかごちゃごちゃになったけど!

お読みいただいた方、ありがとうございました✨


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?