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『こう君』を怒らせてしまったのは私だ

小学校6年生のとき、東京から転校生がやってきた。

私は1学年=1クラスという山梨の片田舎の小学校に通っていたので、「東京からの転校生」というパワーワードに、全校生徒200人程度のテンションがマックスだった。
当時りぼんやなかよしを読み漁っていた私にとっても、転校生の男の子というのは、それはそれはドキドキワクワクの存在だったと思う。

先生の呼びかけの後、ガラッと教室に入ってきた転校生の『こう君』は、手をモジモジさせながら、伏し目がちに自己紹介した。
『○○こう、です』『東京都○○区からきました』

違った。思ってたのと違った。
残念ながらタイプではなかったけど、仕方ない(←超失礼)
なんか、なんだか様子がおかしいな、というのが、第一印象だった。

転校生を怒らせた

転校生のこう君は、私の斜め前の席に座った。
こう君の隣の席の子が、その日の日直だった。

昼休み、日直の子がこう君に、「せっかくだから、日誌の“今日のひとこと”のところ、こう君が書いてよ」と言って日誌を渡した。

こう君は、鉛筆でなにやら書き始めた。
その文章を横から覗いてみたら、ひらがなばかりの文章だった。

小学校6年生にもなれば、だいたいの常用漢字は書けるようになる。
私は本を読むのが好きだったし、漢字も得意だった。それで得意げになっていたところもあったと思う。

「○○(地名)くらい漢字で書けば?」

私は彼に、本当に何の気なしに言った。

次の瞬間、彼は
「うわ~~~~~~~~!!!!」
と大声を出して、教室を飛び出した。
「え!?」私を含め、まわりにいたクラスメイトはみんな唖然とした。

私はとんでもないことをした気がして、急いでこう君を追いかけた。
日直の子も一緒に追いかけてくれた。

こう君は、1階の昇降口の前でうずくまっていた。
顔を真っ赤にしながら、口の中にポケットティッシュを詰め込んでいた。
「なにしてるの!?」日直の子が、こう君に駆け寄った。

騒ぎを聞いて、担任の先生が駆け付けた。こう君はそのまま保健室に連れていかれた。
私は、その場に立ち尽くしていた。こう君に立ち寄ることも、声をかけることもできなかった。ただただ、その場で固まっていた。
何が起きているのか、わからなかった。

ただ、頭の中で、「ああ、先生に怒られる」「とんでもないことをしてしまった」と、そんなことばかりを考えていた。

“慮る”ということ

少ししてから、教室に先生とこう君が戻ってきた。

先生が黒板に「慮る」と書く。

「この漢字を読める人はいますか?…難しいですよね。これは“おもんぱかる”と読みます。“配慮をする”という漢字の“りょ”の部分です。意味は、よく考える、ということ。特に、人の気持ちや相手の状況をよく考えること、思いをめぐらせることをいいます」

「皆さんは生まれてからずっとここで育っているので当たり前に感じているのかもしれませんが、○○(地名)という漢字は、今日転校してきたこう君にとっては、難しい漢字です。」

「そういうことを慮る人になってください」

「自分が相手の立場に立ったらどう思うかな、そんなことを考えられる人になってください」


私は、恥ずかしくてたまらなかった。

読書感想文で賞をもらったこともあるし、国語や道徳の成績はいつもいちばんよかった。
ドラマや映画を見ると、思わず涙がこぼれることがよくあった。
悲しい境遇の物語を読むと、そのことが頭から離れなくて、思い出してもまだ涙が出てくるほどだった。

私は自分のことを「感受性がとても豊かで、優しい人間だ」と、勝手に思っていた。

でも違った。

人の気持ちを考えることができていなかった。

目の前にいる、転校生のこう君を、傷つけてしまった。

人生で初めて、心の底から「失敗した」と思った瞬間だった。

こう君は「普通」とは違った

初めに感じた違和感のとおり、こう君は「普通」ではなかった。

田舎の小学校には「普通」の子しかいなかったから、とてもびっくりした。

こう君はおそらく、発達障害だったのだと思う。
そういう名称を先生や親から聞かされることはなかったけど、普段の発言や急に感情が高ぶってティッシュを口に詰め込みまくるあたりが、私にとっては「普通じゃない」と感じた。

怖かった。

最初に怒らせてしまったし、いつ怒り出すのかわからない。
また失敗するかもしれない。

私は小学校卒業まで、こう君とうまく話せなかった。

こう君は、時々あの“発作”のようなものを繰り返していたが、卒業間際にはだいぶ落ち着いて過ごしていたように思う。

こう君のお父さんとお母さんに会った

中学に進学したあるとき、地域のイベントでこう君のお父さんとお母さんに会った。

こう君の家は、イベントごとには必ず両親がそろって参加するから、顔を覚えてしまっていた。

なんとなく気まずい私はなるべく近寄らないようにしていたけど、向こうから話しかけてきた。

「閣下ちゃん。小学校のときは、こうと仲良くしてくれてありがとうね」

いえ・・・と、それ以上何も言えなかった。
全然仲良くできてないです。むしろ怒らせてしまってすみません。そんな言葉が口をついて出そうで、目が泳いだ。

「こうはちょっと人と違うから、びっくりさせちゃったと思うの、ごめんね。でも仲良くしてくれたから、楽しく学校に通えていたのよ。ありがとうね」

なんともいえない気持ちになって、その場を立ち去った。

私にとっての「普通」

大人になった今でも、あの時のことを思い出すと胃がキリキリしてくる。

後から知ったことだけど、こう君は、東京の学校でいじめに遭い、それを機にご両親がこう君をこの田舎の学校へ転校させたらしい。
東京の会社を辞めて、山梨の田舎に移り住んだんだ。息子のために。

少しだけ大人になった私は、あの時のことを思い出しながら、ああやって私に声をかけてくれたこう君のお父さんとお母さんの優しさに、一生かなわないな、と思う。

こう君、あれからどうしているだろうか。
どこかで元気に暮らしてくれていたらいいな。
お父さんとお母さんも元気だといいな。

あの時は本当にごめんなさい。


この経験は、私のその後の人生の数々の場面に影響を与えてきたと思う。
特に、「自分とは違う存在について理解したい」という欲が増えた。
異文化、宗教、LGBTQなど、自分の「普通」とは相反するものに興味を惹かれるのは、きっとこの経験のおかげだと思う。

そして、ちょっとずつ、私の思う「普通」は、誰かにとっての「普通じゃない」なんだな、と理解できるようになった。
でもまだまだだな、と思うことも多い。

これからもきっと、慮る力が足りなくて、誰かを傷つけてしまうことがあるかもしれない。
そんなときに、この文章を読み返して、戒めとしていきたい。


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