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恋愛ドラマを考察する意味がわかんない

こんなことしてる場合じゃないくらい、仕事が溜まってる。今日中に片付けなきゃいけない野暮用が2つ3つある。
なのにどうしても、どうしても今ここで書いておきたくなってしまって、筆を取っている。
いや筆は取ってないか。スマホをいじってる。

『花束みたいな恋をした』
ずっと観たかった映画を観た。

感想は、すごく良かったし、思ったより泣かないで済んだ。
シンエヴァでも号泣しすぎてハンカチがびちょびちょになるくらい泣いてしまう涙腺ユルガバ女なので、今回もやばいかな〜と思ってたけど、わりとすんなりと観れた。

きっとこの映画を観た人ならみんなやると思うんだけど、観終わったあとに劇中で使われていた曲や話に出てきた曲たちを聴きたくなってYouTubeで検索してた。
そしたら、『花束みたいな恋をした考察』の動画が何本も出てきた。

会社の若い子にも、この映画を観た話をしたら
「わたし観るか迷ってるんです〜なんかYouTube見たらけっこう賛否別れてたんで〜」って言ってた。

たしかに、わかる。
あの映画は、『考察できる映画』だと思う。
真実を語る作り方ではないし、わかりづらい部分も多々あった。
男女のモノローグがあるのに、それでも大事なことはあえて語られていない感じだった。
なんで?とか、あれどういうこと?って疑問もたくさん生まれてた。

でも、それがいいんじゃない。
あのとき、あの映画を観ながら感じた胸の痛み、あたたかさ、気恥ずかしさ、羨ましさ、疑問、なんで?どうして?という漠然としたやるせなさ。

そういうものを、わざわざ言葉にしたら、なんだかとっても台無しにしてる気がする。

かくいう私もこんな文章を書いているんだから、それらの動画と同類なのかもしれないけど。

ミステリやSF作品を考察するのは、わかる。アベンジャーズ考察とか、ディズニーピクサーの時系列の話とか、そういうのは好き。

でも殊に恋愛映画は、人それぞれの感じ方があっていい、と私は思う。

今クールでやっている同じ脚本家さんの『大豆田とわ子』も、ググれば色んな考察が見られそうな作りだけど、私はググりたくない。

すごくすごく、すごく好きな作品になりそうな予感なので。
そういう自分の大切なものになりそうな作品は、人の意見に左右されたくない。
私自身が感じたこの気持ちを、ずっと大切にしていきたい。

本当に感動したとき、『あ〜いいな〜これ』って思ったとき、それを上手く形容する言葉が見つからない。
同じように、本当に嬉しかったとき、幸せを感じたとき、この人好きだな〜と思えたとき、それは言葉ではうまく伝えられない。
言葉にした瞬間に、なんかちょっと違うものになる。そういうことじゃないんだけど、いい言葉が見つからないから、とりあえずこれってことにしとこう。ぐらいの感じになっちゃう。

時にはそういうチープで陳腐(©韻踏合組合)な言葉に救われたり、感動したりすることもあるんだけど。

とりあえず、恋愛映画やドラマにおける考察は、私は一切受け付けない派です。という話。

ただそれだけの話です。
異論は認める。

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