山姥切国広の言う「偽物」と山姥切長義の「偽物くん」は意味が全然違うのでは?というお話。



K玲さんのこちらの記事やそれに反応してらっしゃった方々のツイートを参照しながらゲーム本編を見直して気づいたことのまとめです。

前提条件
・書いた人はライト勢です。どれくらいライトかというと特命調査コンプしてないレベルでライト。大侵攻も不参加でした。最近たまに本丸に戻る審神者に復帰した。
・刀剣乱舞のメディアミックスで履修してるのは花丸1期・2期と映画刀剣乱舞のみ。劇場版の花丸は私生活でばたばたしたら公開終わってて見そびれました。

※今回は『ゲーム「刀剣乱舞」』のみを参照すれば分かることのみで推論をまとめてます。メディアミックスは履修済みのものまで含めて全部ガン無視。
※主観は極力排除してます。そのため色々冷たく感じられるかも。
※目的は「山姥切国広と山姥切長義はどういう意図をもって関係性を設定されているのか?」のロジックを解くことで、キャラクターを善意に解釈する意図も悪意に解釈する意図もありません。
※あくまでも私個人の解釈です。他の方の解釈や感想を否定するものではありません。

1.「山姥切国広の修行先と手紙の内容がそもそもおかしくね?」
参照ソース:レベル99になるまでに審神者が目にした山姥切国広の言動と修行の手紙

審神者が山姥切国広をLV99にするまでに把握できる山姥切国広の主張はさっくり言うと以下の2点があります。

1「偽物と写しを混同されたく無い」(「写しと偽物は違う」)
2「自分の伝説では無い『山姥切』を名前につけられている(自分オリジナルの物語がない)」


です。
山姥切が修業先で見たものは「山姥切を切ったのは長義・国広、両方の説がある」ということ。それで「写しがどうの、山姥切りがどうので悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなって」「自分は堀川国広が打った傑作で、今は審神者に見出されて本丸にいる。本当に大事なことなんて、それくらいだ」と結論づけて本丸に帰還します。
ここでずっと山姥切国広と一緒に時間遡行軍を倒してた審神者なら、あれ、と思うわけです。
「修行で国広が解消したコンプレックスって、2番だけで、1番の方が全然解決されてなくね?「写しと偽物は違う」はどうなったの?

※手紙3で、国広は長義のことを「本科」と呼んでいます。これはまた後述。

2.本丸に来た山姥切長義がおかしい。
参照ソース:山姥切長義顕現セリフ・近侍ボイス・回想56・57
回想56、57ともに、長義は国広に「俺を差し置いて、山姥切の名で顔を売っているんだろう」「俺がここにいる以上、『山姥切』と認識されるべきは俺だ」と主張しています。このセリフを踏まえて、顕現セリフや近侍ボイスに戻ると、審神者は「あれ?」と思うはずです。
国広にあれだけ突っかかっておきながら、長義は審神者に対して、「山姥切を実際に斬ったのは俺であり、山姥切と認識されるべきは俺だ」ということを、一切主張してこないんです。「山姥切」の伝説自体を一切話題に出さない。顕現時に「長義が打った本「歌」、山姥切」と名乗りはしますが、それ以外の場面では本当に一切、「山姥切」の単語すら審神者との会話に出さない。名乗りですら「(山姥切国広の)本歌」が先に来てるんです。「山姥切」はその後、サブ属性扱いです。

国広に「この本丸で山姥切と認識されるべきは俺」って行ってるなら、本丸の主である審神者に「俺の方が山姥切だ」と徹底して絶対に言わないの、不自然では?審神者には真っ先に「こっちが本物の山姥切ね」と思ってもらう必要があるのでは?

※長義は顕現時も刀帳でも、自分のことを「本歌」と言っています。

3.山姥切国広の極後の刀帳が極前と比べておかしい。
これは刀帳見たらすぐわかります。極前は「山姥切の写しとして打たれた」とちゃんと言っているのに、極後の刀帳には「写し」という単語すら存在しません。
「写しと偽物は違う」という彼の主張、どこに行ったの?回想57で長義に「写しは偽物とは違う」と言ってはいるので、写しだということを忘れたわけではないのは確定。では、なぜ極後の刀帳の自己紹介欄から「写し」の単語が消えたのか?
「写しであるという事実が、審神者に改めて教えないといけないほど、山姥切国広の中で重要な事項ではなくなったから?」

…そんなわけなくね?「写しと偽物は違う」ってあんだけ主張してたのは、「写しがなんたるかを世間(場合によっては刀の初心者だと思われる審神者も含む)が理解していないことが悔しかったからでしょ?」
あなたその悔しさ、修行中に喪失してない?「写しは偽物じゃない」っていう矜持はどこに置いてきたの?


以上の材料から、以下推論。
■山姥切国広は、最初から大きなセキュリティホールを抱えた状態で本丸に顕現している。
 
具体的にどんなセキュリテイホールなのかは記述が全く無いので断言はできないのですが、おそらく「山姥切という自分のものでは無い伝説を名前に与えられてしまった(山姥切ってないのに山姥切ったという逸話を被せられた)」苦しみの方がでかすぎて、そもそもの「本歌と写しとはなんなのか」という「写しとしての本質を見失っている」か、「そもそも写しの本質自体がわからなくなっている」か、のどちらかです。

だから修行内容がおかしい。「写しと偽物が違う」ことを世の中に知らしめたいなら、「刀工が本歌山姥切長義にどれだけ感銘を受けて、どれだけの情熱を持って山姥切国広を世に送り出したのか」「その後どれだけの人々が自分を大事にしてきたのか」の方を修行で確認してこないといけないんです。なのに「それを確認しに行こう」ということを思いつきすらしないで、「山姥切伝説がどちらのものなのかを確認しただけで満足して帰ってきてる」んです。

つまり「山姥切国広の修行は半分しか終わってない」のではないか。

写しが「写しとはなんなのか?」を見失ってるのって、つまり「自分の根っこがなんなのか忘れてる」っていうことではないか?それって「写しとして大丈夫なのか?」
……大丈夫じゃなくね?

■山姥切長義は何のために顕現し、何を狙って山姥切国広を「偽物くん」と挑発しているのか
山姥切長義には、「刀工長義が打った本歌長義」「山姥切伝説を背負った霊剣山姥切長義」の二つの側面がある、と考えると切分けやすくなると思います。
長義は審神者の前では徹底して「本歌長義」として振る舞って「霊剣山姥切長義」を完全に封印しています。
逆に山姥切国広の前では徹底して「霊感山姥切(の本物)」として振舞っていて、「刀工長義」の話はひとことも口に出していない。何故か?
「山姥切国広が、「本歌長義の写しとしての山姥切国広」をごっそり喪失しているから」です。
「山姥切伝説に囚われて、本歌の写しであるということを忘れている国広の目の前で、霊剣山姥切長義、自分こそが山姥切であると主張することで、国広が喪失している「写しというアイデンティティの起点」を思い出せ」と言ってるんですね。
長義は国広のセキュリティホールのせいで喪失しまっている「本歌ー写し」間のパスを国広の前で「本物の山姥切はここにいるぞ」と主張することでつなぎ直そうとしてる、と考えると全部繋がります。

審神者の前では徹底して「本歌長義」として振る舞い、「山姥」の単語すら名乗り以外で一切出さないのは何故か?というのもこれで繋がります。「山姥切国広が写しのなんたるかを見失ってる時に、審神者の認識が『山姥を本当に切ったのは長義の方だ』(長義が畑(=山姥は豊穣の女神の成れの果て説がある)に嫌われていて国広が嫌われていないというのは、長義の方は実際に山姥切ってる可能性が高い)と確定してしまうと、国広が危ないからです。
ただでさえ国広は「写しとはなんたるか」を喪失しているのに、「山姥切ったのは長義で確定」してしまうと、国広の付喪神としての存在自体が危うくなると考えているのではないでしょうか。


■長義の言う「偽物くん」とはなんなのか?
ここまできたら答えは簡単だと思います。
リスペクト元(本歌)のことをちゃんと認識してないオマージュ作品(写し)はそもそもオマージュじゃないよね、って話です。
だから「山姥切国広が認識している『本物』」つまり「霊剣山姥切長義」でやってきて、「お前は!まずは!リスペクト元を!!!ちゃんと認識しろ!!!」ってやってんですよ長義。そう考えると、回想57の言動が全部矛盾なく綺麗に通じません……?
「写しなのに大元の本歌のことをきちんと認識することすらできなくなってる写し」は「似ている似ていない以前の問題」です。
リスペクト元のこと認識してないオマージュ作品、確かに長義が言うとおり「偽物」でしかないんですよ。山姥切国広、そもそも本物への敬意がごそっと落ちてる(修行中の手紙ですら、「本科」呼ばわりなんですよ。「本歌」じゃなくて「本科」なの。本歌への敬意がないことに、修行中ですら気がついてないんです。)んです。「国広の傑作」ではあっても「本歌長義の写し」の芯の部分を喪失してるんだもん、極めててもあの状態の山姥切は「写し」ではありません、そう言う意味ではたしかに「写し失格」=「偽物」です。


■つまりどういうことなのさ?


結論。

「山姥切は二振りで一つの概念を共有してるので国広の修行だけだと進捗率は50%です。しかも国広は脳筋なので元気に方向を間違えてます、長義の修行で修正して概念も完成するのでちょっとまってね」


わかるかこんなもん。


最後に。

でも極国広、実際問題として「本歌見失ったまま山姥切伝説も放り投げてね?あのままで大丈夫なの?」

気合いと根性と筋肉で(何故か)安定してるのでとりあえずは大丈夫だと思われます。

在りようとして色々間違ったままKIAIで安定してるっていう意味わからんことになっててこのままだとまずいのは確かだと思われるので、多分長義の修行で修正入ると思います…。山伏先輩を軽々と超える脳筋がここに…。

長義の修行が終わったら、国広くんは写し(後輩)のことめちゃめちゃ心配してやってきてくれてものすごく苦労してくれてる本歌様に土下座しようね…。あと長義さんには胃薬とハリセンを差し入れしたいですね…。

以上、ざっくりまとめでした。ツイッターでは他にも色々出ました(南泉の回想と極修行の手紙を補助線にすると理解しやすいとか)けど、わかりやすいもののみを抜粋してまとめました。おしまい。


……公式、不親切がすぎませんかね????

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