びてぺろ
来年で勤続25年になる。新卒で入社した時にこの会社で生きて行くことを決め、入社5年目で同じ部署の同期である今の妻と結婚し、以来着実に出世街道を闊歩してきた。いや、闊歩してきたというには少し慎重すぎたかもしれない。石橋を叩いた上で闊歩してきた。そうして今、この従業員1万人規模の会社で役員にまで登り詰めた。どうしても果たしたい目的のためにそうせざるを得なかった。勤続25年、結婚して20年。そろそろ目的を果たす時だ。
私はどうしても大勢の前で「尾てい骨ぺろぺろ」と言いたい。実際にその行為したいとも思わないが、言いたいのである。数多ある言葉の中で絶対にこの文言でなければならない。下ネタとは断言できないし、特定の誰かを傷つけることもないポップなフレーズ。にもかかわらず今まで築いてきたキャリア、しっかり者の夫としての顔、頼れる父親としての顔、それら全てを一発で台無しにするには申し分ない破壊力。
大学2年生のある朝、「尾てい骨ぺろぺろ」という言葉が突然脳裏に浮かんで離れなくなった。この大胆かつ美しいフレーズを世の中に披露するのが私の役目だと感じた。けれど、10人程度の飲み会で消費していいような程度の低い言葉ではない。一生に一度の大舞台で大勢の前で「尾てい骨ぺろぺろ」と言いたい、というこの欲求に私は「びてぺろ」という名前を付けた。もっと大勢の前に立ちたい、その一心で就職活動に励み、入社してからも出世に繋がることはなんでもやった。妻や子がいて社会的信用がある方が「尾てい骨ぺろぺろ」と言った時の破壊力は高い。私はびてぺろのレールに乗って人生を送ってきた。
今年の10月に全従業員がオンラインで視聴する創立記念式典がある。役員や東京本社の社員数百名は自社のホールに集められて、社長や司会は壇上で話す。その司会に私が選ばれたのだ。ここまで長かった。びてぺろを満たす時がついに来たのだ。
4月、入社式の司会を私が務めることになった。創立記念式典の司会になってからというもの、司会を頼まれることが増えた。毎回びてぺろを抑えて淡々とこなしている。この日の入社式もその予定だった。何事もなかった入社式の終盤、私の手の震えが突如として止まらなくなった。何かが起きる予感がして今すぐこの場から立ち去りたくなった。手が震え出して5分後、一人の新入社員が突如として立ち上がり「鎖骨はむはむ!」と言った。全員が突然の出来事に騒然となる中、私は「なぜ今なんだ。もっと大舞台で言うべきだ。高みを目指せ。そもそも鎖骨はむはむは美しくない。安易で低俗だ。」と思った。気付いたら叫んでいた。「びてぺろの侵害だ!」
こうして波乱の入社式が幕を閉じた。びてぺろの存在を世の中に知らせてしまったかと焦ったが「偉い人がよく分からないこと言ってるから、なにやら高尚なビジネス用語なんだろう。」と言う空気になり、拍手されたりなんかしてしまった。びてぺろが私にもたらしたものを改めて実感した。創立記念式典の時、びてぺろの大一番でも拍手は起きるのだろうか。いや、一つの物音もしない静寂とともに、膨大な快感が待っているだろう。いやまてよ、そんな快感があるならもっと快感を大きくしたい。いっそ社長に就任してからでも、いや、社長に就任して会社の規模を大きくして、場合によっては政界への進出という手もあるぞ。びてぺろに突き動かされた私はこれからも高みを目指して走り続ける。びてぺろは一度きりなのだから。
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