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見えているはずの境目が失われていく人々

 この世で、正しいことと悪いことの区別は難しい。
 片方から見る正義は、反対側から見れば汚れていたりもする。

「ほら、自分でやりなさい」
「誰かに頼ることも覚えなさい」

「いつまでも成長しない奴だな」
「時には立ち止まることも大事だぞ」

 ねえ、どこに立てば、この二つを達成できるの……?
 なにを見せれば、あなたは満足するの?

 この世界は簡単なのに、人がそれを難しくしている。
 悩みも苦痛も、他者からのストレスによって引き起こされていく。

 関われば関わるほど、絡まった細い糸が、いつの間にか柔らかい首筋に食い込んで血を流す。

 痛みで苦しむのは長く、決意と共に散る瞬間は刹那で、尊い命が去っていく。

 

 人はいつも気が付くのが遅い。

 遅い、遅い、遅い……。

 悲しみに暮れる前に、やれることがあっただろうに、振り返らずに行ってしまう。

 壊してから、潰れてから、離れてから、大切なものだったことに気が付く。
 それにも関わらず、同じことを繰り返す。

 こんな生き物なのに、誰かの上に立とうと口を開く。

 こんな生き物だから、本当の平等も尊厳も得られない。

 しょうもない、つまらない、こんな生物になにを望めるのだろう……。

 いがみ合ってなにが楽しいか。
 睨みあってなにが嬉しいか。
 押し付けてなにが優しいか。
 締め付けてなにが自由か。
 傷付けあってなにが正義か。
 否定だけしてなにが正解か。

 頑張りすぎた人が、心を折られて消えていく。
 威張り散らす人が、周囲を壊して肥大化する。


 こんな世界じゃ、生きていたって仕方ないと思ってしまう。
 この世界は、この世界の表面の心は汚れたものしか映さない。



 考えすぎだって、もっと楽観的に生きろと、誰かが言う。


 幾億の心がある。
 幾億の頭がある。
 幾億の魂がある。

 個人の意見は、時として他者を傷付ける刃物になる。


 言葉とは本来、重く深く相手に突き刺さるものである。
 なのに、言葉の力を知らずに斬りつける。

 子どもに限らず、いい年をした大人でも。
 振りかざした言葉が刃物だと知らない。


 誰かに救いを求めても構わない。
 ただ、それが絶対的な仲間ではないことを知らなければならない。

 求める側にも、許容範囲がなければならない。


 これは、おすすめできないけれど、辛い人への、私の処世術……。

 諦観を盾に生きれば、この世界は少しだけ楽に見えてきます。

 誰も頼りにならない、自分がやらねばならぬと、踏ん張りすぎたらダメだけど、他者への諦めは持っておくと心が楽になる。

 どうせなにもしてくれない、自分のために動く人は居ない。

 その時に、誰かが手を差しのべてくれたら、その喜びは数倍以上に膨れ上がる。


 負の感情を下地にすることで、自分に起きる喜楽を格段に向上させる。

 小さな幸せ、嬉しいは、心の在り方でいくらでも増やせる。


 資産運用も、生きていくなら大切かもしれない。
 けれど、心の在り方と感情の制御も大切なものだから、もっと大切にしてほしい……。


 苦しいなら吐き出す。
 それが無理なら耐える。

 それが限界になるなら、命を投げ出す前に、振り返ろう。

 死はなにも残せない。
 苦悩が伝わらない。
 生きた証が火花と同じになる。

 消えたら、本当になにも残らないんだ……。

人を変えることはできないけれど、誰かの心に刺さるように、私はこれからも続けていきます。いつかこの道で前に進めるように。(_ _)