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『雨女の、笑いまち』第3話

 アパート前の路上で、小さく控え目に一回だけクラクションが鳴らされた。明彦の車の赤いテールランプが日中の雨を思う存分吸い込んで黒光するアスファルト路面の夜道を遠ざかってく。車影が左折し都道に合流して見えなくなるまで見送った。  部屋に戻ると、ローテーブルの上の飲み残しのウーロン茶の入ったグラスと、コーヒーの入ってたマグカップ、宅配チャイニーズの空の発砲スチロール容器、明彦の喫った煙草の吸殻が収まった瀬戸物の小さな灰皿からなる細やかな宴の跡をささっと片づけ、シャワーを浴びると、

    • 『雨女の、笑いまち』第2話

       銀レフ板を床に置き、リビングルームの休憩エリアに行ってキャンプチェアに腰掛け、左肩を右手で揉んでると、矢島さんがにやにや顔で寄って来て、わたしの隣りでキャンプチェアを広げると、ロケ弁当を手渡してくれた。お返しに冷えたペットボトルの緑茶を手渡す。  「桜子、これからが本当の持久戦だぞ」  お弁当の紙包装をビリビリ破きながら、彼がわたしの耳元で囁く。  「オムツ替えってそんなに時間かからないですよね。直ぐ撮影再開ですよね」  「それは分かんないね。なんせ、あの赤ん坊の機

      • 『雨女の、笑いまち』第1話

        乳房の谷間から引き剝がされたとたん、赤ん坊はけたたましく泣き出した。白いシルクのガウンをラフに羽織り、ベッドヘッド・ボードに背中を凭れさせてるママ役の女優Nは、実の子を取り上げられてしまっても、そこはプロ魂を貫き、困惑の表情など微塵も見せず、慈愛に満ちた笑みを崩さない。彼女の上半身を明るく包んでいるのは、来生チーフが当ててるキーライト。Y監督は、まだ、このシーンのカメラを回そうとしない。  ああ、キーライトが太陽光じゃなくて人工光だからなのかしら。せっかく真夏のまばゆ

        • BFC2落選作です。友人に誘われて応募しましたが、時間がなく、推敲ゼロ回という状態で参加してしまい、審査の皆さまには、ご迷惑をお掛けしました。

          『カンパチ、セタガヤ界隈』                    市川スナオ 秋晴れの日曜日午後。環状八号線を走る紺のBMWセダンが瀬田の交差点の数百メートル手前で、横断歩道の赤信号に停車させられた。ハンドルを握る中年男は、用賀で生まれ育った妻の達ての希望で自由ヶ丘のマンションを三十五年ローンで購入してここ二十年近く住み続け、この界隈を走るには、車はドイツ車じゃないと恥ずかしいという彼女のリクエストにも応じ、もちろん、車中の禁煙も甘んじて受け入れている。 信

        『雨女の、笑いまち』第3話

        • 『雨女の、笑いまち』第2話

        • 『雨女の、笑いまち』第1話

        • BFC2落選作です。友人に誘われて応募しましたが、時間がなく、推敲ゼロ回という状態で参加してしまい、審査の皆さまには、ご迷惑をお掛けしました。