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愛は人からもらうものではない  涼しくなりたかったら 自分の扇風機のコンセントを入れれば良い というお話


こんにちはSunaoです♪

外から帰ってくると、まず扇風機の前で
「あづーーー」としてしまう今日この頃です。

本日は
涼しい風が欲しいなら、自分の扇風機のコンセントを入れようというお話です。(どういう事?笑)

「愛」について、扇風機の例え話を聞きとても面白かったので、Sunaoバージョンでお話したいと思います。


私達はずっと愛を求めて生きてきました。

親に、パートナーに、家族に、友達に、先生に、会社の上司に、私ではない外側の誰かに…

「愛されたい、優しくしてほしい」
ありとあらゆるところに愛を探し
「そこに愛はあるんか?」と聞き続けてきました。

でも…

「そこに愛はないんよ」

「そこに愛はないねんで」


え?

ずっと愛されたかったのに、そこ(自分の外側)に愛はなかったのです。

そもそも、探している場所が違ったのです。


ではイメージしてみてください。

私達は、それぞれ自分の扇風機を持っています。
暑かったらいつでも自分の扇風機のコンセントを入れて涼しい風を浴びれば良いだけなのですが…

ずっとこんなやりとりを続けているのです↓↓↓

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

ここは お父さん、お母さん、子供の3人家族が住むお家。
ある暑い夏の日…

子供「あーー暑い!ママ暑いよーー!早く涼しくしてーー」
(子供の扇風機はおもちゃに埋もれ 忘れ去られています)

母親「OK、0Kちょっと待ってて!ママの扇風機つけるから」

子供「早く早く!早く涼しい風ちょうだい!」

母親「はいはい、どお?涼しい?
(あー暑いなー首振りにしよう。私にも風欲しいわー)」

子供「うーん、少し風来るけど、もっと強く、私だけにあたるようにして!」

母親「(えーー私も風欲しいんだけどな・・・でもしょうがない)
OK、OKあなただけに風当たるようにするね。これでどお?」

子供「あーーさっきより風きてる。でももう少し右にして」

ママ「はい、こう?(汗ダラダラ)」

子供「いや、もうちょっと左、いや、もうちょっと右、いや行き過ぎ!!」

母親「これでどーよ?!風マックスにしてるよーー!
(もうだめだ!暑すぎる!倒れるーーー)」

隣にはマイ扇風機を持った父親がいます

母親「ちょっとパパ、パパの扇風機 首振りにしてこっちにも風くれない?」

父親「え?!(嫌だな…暑いし…)ママの扇風機あるでしょ?」

母親「私の扇風機、娘に使ってて 私風来てないのよ。パパのその首振りボタン、ポチっとするだけだから お願いよ!風こっちにちょうだいよ」

父親「うーん…」

母親 (なんで風くれないの?!
ならば、パパに冷たい麦茶を出してみようか?
氷も入れて更に冷たくすれば パパは私の為に風をくれるかもしれない)

そうして、母親はどうしたら父親がこちらに風をくれるか、あれこれ考え続け、娘からは 風が足りない!風の向きが違う!と要求され続け
父親は母親に文句を言われ続け、結局誰も涼しい風を満足に浴びることはありません。

この例は家族ですが、
恋人同士でも、友達関係でも、仕事の人間関係でも、全ての人間関係に置き換えられます。

私達はずっと、
相手の風をいかに自分に向けさせるかに躍起になっているのです。

こんな事…続けなくても良いですよね?

誰もが皆 自分の扇風機があるのですから

良く探してみてください

そして、自分の前に扇風機を置いてコンセントを入れて、思う存分 風を浴びれば良いのです。

扇風機の風が「愛」です。
愛は人からもらうものではなく、自分の中に元からあるのです。

私達は、物質的人間の私と、目には見えない非物質的ソース(源)の私でできています。

私達は、ソース(源)から、ソースの一部として この地球を体験する為に生まれてきました。

ソースは100%純粋な愛のポジティブエナジー

つまり
私達の本質は100%純粋な愛のポジティブエナジーなのです。

私達は全てを忘れて地球に生まれてきましたが、決してソースから切り離されて生まれてきたわけではありません。

誰もが皆 ソースの一部で、いつでも繋がっています。

ただ、毎日の雑踏の中でしばしばソースと繋がっているコンセントが外れてしまう事があるのです。

ソースにコンセントが刺さっていれば愛を感じ、良い気分ですが、
ソースに繋がるコンセントが抜けていれば愛を感じられず、気分が悪くなります。

だから、自分の中にある愛のコンセントを入れ、良い気分でいれば良いのです。

本当はすごくシンプルなのですが、
長年教えられてきた道徳的な人としての信念があり、なかなか簡単にいかないのかもしれません。

もうすぐ11歳の娘ちゃんは、学校で七夕の短冊を書く時に 先生から

「願い事は、“人のため“ を思って書くと良いですよ。
もし、歌手になりたかったら、誰かを元気にするため、とか幸せにするために歌いたい と願うと良い」と言われたそうです。

娘ちゃんも主人も何の疑いもなく、素敵な話だねと話していました。

私は、なんだかとてつもなく違和感を感じてしまったのです。

自分の願いは人のためにならなきゃいけないのか?

この「人のため」という信念が おかしな事になっているんじゃないかと思うのです。

確かに人には優しくしたいし、楽しませたいし、安心してもらいたい
人のためにやってあげたり、人のためになることは尊い事です。

でも、「人のため」の前のステップがいつも無視されているなと感じます。
一番大事なことが抜けていると思うのです。

まずは何より「自分のため」
自分が満たされていないと、人に優しくしたり、手助けしたりできません。
車だって、人のために素早く移動させてくれますが、ガソリンがないと走れません。
車ならガソリンが無いと走れないって当たり前に思えるのに、
人はガソリンを入れる事(自分を愛で満たす事)を無視して、人のために!人のために!と走らせようとします。

「人のため」という教えは、逆を言うと
「他の人が私に優しくするべきだ」「他の人が私を愛してくれるべきだ」
「他の人が自分の気分を良くするものだ」
ということになるし
「私は人に認められなければいけない」と
どこまでいっても外向きの思考になってしまうのではないでしょうか。

承認欲求も、いじめも、マウンティングも、誹謗中傷などなども
世の中にあるたくさんの問題は、自分の扇風機の存在に気づいて、コンセントを入れる事で解決するんじゃないかな…と思うのです。

歌が好きで歌手になりたいのなら
自分のために大好きな歌を好きなだけ歌えば良い
そうすれば自分が愛で満たされて
それを観た人達は 本当の愛を観る事になるから
心から癒されたり、勇気付けられたり、幸せを感じたりするのだと思います。

「自分のため」の行動で、自分の愛が充分に満たされ、愛が溢れた時に初めて
「人のため」の行動ができるのです。

「自分のため」が結果的に、「人のため」になる
このほうが私はしっくりきます。

自分の扇風機、
もしかしたらずっと使われずに埃をかぶっているかもしれません。
初めはコンセントの差し込み方もわからないかもしれません。
少しづつでも、「愛は私の中にある。私は自分の愛にコンセントを繋げる」と意識するだけで、外側に向いていた意識が内側に向かうと思います。

そして、本当の愛、優しさとは、自分の扇風機の風を他の人に当ててあげるのではなく
自分の行動を通して「あなたも自分の扇風機持ってますよ〜」と気づかせてあげることだと思います。

愛のコンセントを入れるには、やはり瞑想が効果的だと思います。
朝、まだ思考が忙しく動いていない時に瞑想をすることで、愛のコンセントが繋がります。
15分の瞑想のうち、1分でも思考が静かになれば大成功だそうですよ♪

そして日常的にイライラしたり、不安になったら、
相手や状況のせいにするのではなく、
「あ。コンセント抜けた」と気付いて、深呼吸したり、好きなものを食べたり飲んだり、空を見上げたり、できればお昼寝したり、瞑想したりして、少しでも自分の気分が良くなることをして周波数を変えます。

そうすると、また涼しい風が吹いてきます。

自分の扇風機の存在を知ってしまったら、もう人のせいや環境のせいにはできません。
でも、全て自分次第という事こそ 本当の自由 だと思います。

私の扇風機はまだガタガタしたり、違う方を向いてしまったり、スッポーンとコンセントが抜けてしまったりもしますが、決して無くならないという事はわかっているので、焦らずゆっくり、コンセントをしっかり繋いで心地の良い風を感じたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました♪














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