シンディ

 ランチは裏山で食べることにした。シンディに誘われたのだ。裏山に続く緩やかな坂道を歩いていると、前から来た中年男がシンディをなめるように見た。いつものことだ。つまり、シンディはそれほど素敵な女の子なのだ。ぼくの理想の恋人像を脳内からそっくり転写して物資化した女の子といってもいい。友達は、皆同じことを聞く。一体どこで知り合って、どうやってものにしたんだ?当然だろう。それまでとことん女の子に縁がなかったこのぼくが、ある日突然、シンディのような超美人を連れて現れたのだから。シンディと出会ったのはバイト先で、特に口説いたりしたわけでもない。自然に恋人同士になった。誰も信じないが本当なのだからしかたがない。
 裏山に着くと、手頃な木の下でランチを広げる。シンディのお手製だ。青空を見上げながら、彼女が注いでくれた温かいお茶を飲み、とびきりおいしいランチを食べる。最高のひとときだ。お腹いっぱいランチを食べてしまうと、ぼくは横になってシンディに膝枕をしてもらう。シンディの手がぼくの髪をやさしく撫でる。うとうとしかけたころ、「あっ」とかすかな声が聞こえて目を開く。「ポットのふたが・・」シンディが木の根っこにぽっかりあいた穴に哀しげな視線を向けている。ぼくの手の中にあったはずのポットのふたが消えていた。すぐに事情がのみこめた。ぼくの手からこぼれ落ちたポットのふたが転がって穴に落ちたのだ。腕を突っこんでみるが、内部は思いのほか深く広いらしく、手には何も触れず空を切るばかりだ。ポットはぼくのものだし、かなりくたびれてもいたので別にかまわないと言ったが、シンディは納得しなかった。どういうわけか、彼女はあのポットをとても気に入っていた。
「取ってくる」シンディは、コンビニにでも行くような軽い口調で言った。
「でも」ぼくは、周囲を見回した。
「だいじょうぶ、誰も見てないって」言い終わる前に、シンディは目を閉じた。長い艶やかな髪が焼かれたように縮まって、美しい顔がどろどろ溶けだした。耳と鼻と唇がひとつになって混じり合い、垂れ下がった眼球が膝の上に落ちた。胴体が空気を抜かれた風船のようにしぼんで下半身に溶けこみ、全身が急激に小さくなり、一分もしないうちに、洗面器に収まるほどの緑色のゼリーの塊になっていた。そして、尺取虫みたいに地面をはって穴に消えたかと思うと、すぐに出てきた。今度は、小さなボールに変わっていた。ボールは転がってぼくの目の前で停止すると、くす玉のように割れた。中から現れたポットのふたをぼくが手にとると、むくむくと膨らんで元のシンディに戻った。ちょうどそのとき、背後でくぐもった叫びと、何かが倒れこむにぶい音がした。振り向くと草の間に靴をはいた脚が見えた。「やばい」そっと近づいてみると、中年の女性が仰向けに倒れている。ちゃんと息はしているので、気を失っているだけだろう。どこから見ていたのか知らないが、驚かない方がおかしい。
「見られちゃったみたいね」耳元でシンディがささやいた。
「とりあえず、逃げよう」あわてて荷物をまとめ、他に人がいないことを確かめて、ぼくらは元来た道を足早に帰った。他人に知られると、何かと面倒だ。
 シンディを見つけたのは、バイト先の更衣室だ。ぼくのロッカーの中にいた。そのときは赤い点が混じった半透明のボールだった。ロッカーを開けたら得体の知れない球体がぶよぶよと震えていたというのに、なぜか驚きもせず、怖くもなかった。それどころか、とても、懐かしい気持ちさえ感じた。それ以来、シンディはぼくの部屋にいる。シンディはその姿を自由に変えられるようで、ボールになって転がったり、猫や犬になってソファで寝ていたり、モップになって床を掃除したりする。一体どれが本当の姿なのかわからない。最近はもっぱらぼくにとって完璧な女の子の姿でそばにいてくれる。そして、いつもぼくを助けてくれるのだ。先日も、夜道で数人の男たちにからまれたとき、いきなり全身を溶かしてゾンビに変身してくれたおかげで、男たちは声もあげずに飛ぶように逃げて行った。シンディはぼくにとってかけがえのない存在だ。
 シンディの正体がいったい何なのか、ぼくは知らない。

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