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STUDIO CHOOM[MIX&MAX]by ITZY YEJI&RYUJIN感想書き散らし

2021年、タイトル曲のパフォーマンス動画はもちろん、Artist Of The Monthソロパフォーマンス動画を同一グループから3本も世に放ってしまったSTUDIO CHOOMとITZY。

2022年もまたやってくれました。今回公開されたのがこちら。

では早速、感じたことを感じたままに書き散らしていこうと思います。


導入部、「双子」の誕生

STUDIO CHOOMでのオリジナルパフォーマンスは、どれも導入部が素敵だといつも思います。今回はこのように、モノクロの世界で近づき合う二つの手の表現から。重ねた手を握ると、世界がパッと色づく演出。

お互いに似ていることを確かめあい、喜ぶ子供のような表情を見せ眠りから醒める二人。この双子の誕生を感じさせます。

あくびがかわいい🥱

↓好きなカット。一瞬だけ画面の上下に黒いフレームが現れ、まるで映画の一場面のよう。

双子の物語の始まりを予感させるカット

共に躍る双子

双子という設定でも、そこから生み出される表現は単一なものではありません。動きをシンクロさせるだけでなく、一体化したり、それぞれで踊ってみたり。

この場面ではまるで二人が一つの生命体かのようです。↑の最後、リュジンの顔の横に伸びたイェジの腕が動くのですが、表情と体の反応でまるでリュジンの腕が動いているように見えません…?見れば見るほど二人の身体能力とコンビネーションの完成度に驚くばかりです。


そしてリュジンがイェジの背後へと消え、イェジが髪を解放して始まるソロのカット。ここではそれぞれの得意とするダンススタイルの違いが現れています。

全身を大きくしならせ、強烈な躍動でエネルギーを外に放出し見る者を圧倒するようなイェジのダンススタイルと、

無駄を削ぎ落とし勢いをつけ固定することでハッと視線を奪う緩急と緊張感を作り出すリュジンのダンススタイル。

(私がITZYを好きな理由の一つが「パフォーマンスにおけるキャラクター性」なのですが、それが顕著に現れているシーン)

で、ここで気になるのがソロで踊った直後に一方がもう一方を操っているかのような表現が入るところです。

STUDIO CHOOMは照明技術の優秀さも大きな魅力。パフォーマンスの持つ意味を演出・強調しているように見えます。

イェジのソロシーンの後、照明がオレンジから暗い雰囲気に変わり、そこでリュジンがイェジを操っているかのように現れます。リュジンのソロシーンの後もやはり照度が落ち、同様の表現が見られます。

一方が一人で踊っているように見えても、見えないところでもう一方が操り共に踊っている。二人は相棒であり同時に分身のような存在に私には見えました。

パフォーマンスに現れる双子の個性

バックダンサーが加わり、表現はますます多彩になっていきます。
ここで感じたのは、この双子の性格面の違いです。

↓過呼吸のシーンから一瞬で周囲を押しやり笑顔で「It was fine.」なイェジはとてもタフな印象、


↓一方で、蠱惑的なたおやかさを感じさせるリュジン。照明の違いもキャラクターを際立たせるかのようです。

しかし、そこから続くバックダンサーを交えての群舞は迫力に加え、ディテールにこだわる二人らしく、個性も出しているのに揃い方がとても綺麗。

動きが大きな上半身に目が行きがちですが、下半身の細かな動きの角度まで揃っています。それでなんでこんなにしなやかに力強く踊れるのか…スキルと努力の量に脱帽です。


手を繋ぎ、そしてまた躍り続ける

ここからが私の1番好きなシーンなのですが、暗い小部屋を想起させるような雰囲気の中、歌詞の「I'm scared」とリュジンの怯えた表情が重なります。彼女は何が怖いのか。それは、歩くような指の動きから推測するに「これ以上前に進むこと」もしくは「これ以上踊り続けること」なんじゃないか…と感じました。

しかし、リュジンの手を握ってイェジが突き動かすと、振り向いたリュジンの顔から不安そうな表情は消え、笑い、二人はまた踊りだします。

なんとなくこの双子、キャラクターだけでなくパワーバランスにも少し差があるような…全体を通して、イェジにより力がある関係のように見えます。イェジが姉、リュジンが妹という感じ。(年齢的にそのままなんですけど)

オープニングでも、このシーンでも、先に手を差し出したり握ったりしていたのはイェジでした。

↑再び踊り出した双子を、スポットライトやカメラのフラッシュのような光が照らします。さっきの小部屋?が内的な世界なら、ここは「表舞台」といった感じ。

刺し違える?ラストについて

曲はクライマックスへ。ここでリュジンが笑いながら涙を拭うようなシーンが入ります。アイメイクが滲み、泣いていることがはっきりとわかります。

ちょっと初めて見る表情かもしれません

正直、この笑顔の涙が表現する感情をまだ掴みきれていないというか、消化しきれていません。ただ、個人的には踊り続ける喜び(または踊りながら見せなくてはいけない笑顔)の裏に潜んだ苦しみや痛みのように感じました。

最後にアップになったところを見るとわかるように、鏡写しになったようにイェジのアイメイクも滲んでいるのでイェジも多分その苦しみに共鳴?してるんですよね。

そしてフィナーレへ。頭部を刺し違え、お互いを壊すシーン。なぜこのようなことをするのか、私なりに考えてみましたが、これはBe Be Rexha氏が歌詞で繰り返すように「(自分の意思で)自分の心を壊せるから」なのかなと…

前に書いたようにこの双子は分身のような存在であり、相手を壊すことは自分を壊すということです。自分で自分の心を壊してしまえば、涙を流すような苦しみも痛みも感じませんので。

飲み込まれ支配されることや自分を苦しめるものを拒否し、それが自分の心を壊すことであっても自分の意志で為したい、為すというメッセージを感じました。

目を閉じ、二人が同時に目を開けると鳴るのは心電図の音。

これはこの曲自体の解釈にもなるんですが…
心停止(=死)であれば、この音は最後に「ピーーーー」となるはずなんですよね。でもこの曲はそうはならないんです。この最後の音は心電図の装置自体がダウンするような音だったり、巻き戻し?の音のように聞こえます。苦しみもがいて自分の心を壊した先にあったのは、死ではなく、蘇生だったのではないか…と私は考えてます。

周囲のダンサーが力無くうなだれる中、生まれ変わったかのように微笑む双子の表情。何か終わることのないようなループのような…終わらない物語のように感じました。

終わりに

以上、感じたままの感想を文字に起こしてみました。

まだまだ掴みきれていないことも多いですが、だからこそ何度でも見てしまう。
それ以上に、難しいことを考えなくとも、磨き上げられたダンススキルと表情の吸引力、何よりイェジとリュジンという二人の人間のケミストリーが、このパフォーマンスをアート作品へと昇華させています。

7/15にリリースされるミニアルバムの準備と並行しながらこれほどのパフォーマンスを作り上げてくれた二人には、賞賛を浴びせても浴びせても足りません。

実は、二人がインスピレーションを得たという映画(邦題:アニー・イン・ザ・ターミナル)も見たのですが今回はあくまでパフォーマンスそのものから受けた印象を中心に書いてみました。もうじきビハインド映像も公開されるので、そちらでさらにこの作品を理解していきたいな〜。

こういう見方もあるのかな、どれもう一回見に行こうかな…と思ってくれたら嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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