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趣味は何ですか~時計とバードウォッチング

 曰く、時計は最高の趣味なのだという。
 私の知人は毎晩自分の部屋で、ロレックスを取り出し、眺め、針の音に耳を傾け、さまざまな意匠に目を細め、そんな時間が何時間も過ごせるのだという。
 崇高で孤高の趣味ではないか。
 とは言え、孤高とも言っていられない。
 転売ヤーが横行し、ロレックス欲しさに銀座の高級時計店が襲われたことは記憶に新しい。私の別の知人は、腕にオーディマ・ピゲを着けている時、腕ごと切られて盗まれないよう、剛毛に包んだその左腕を隠しながら通勤するのだそうだ。命がけである。
  時計の趣味は欲望を満たしてくれる。物欲、所有欲、自己顕示欲……。銀座のママも腕に眼を光らせている。もしかしたら色欲も満たしてくれるかもしれない。

 彼らとの会話にはある種のたしなみが必要だ。
 「キミは、5大時計メーカーを知っているかい」などとたずねられた時、きちんと答えなくてはならない。「ええと、セイコー、シチズンと…」などと言えば、とたんに憐れみの眼差し。ご丁寧にもパテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲ、A.ランゲ&ゾーネ、ブレゲなんだよと、とても1回では憶えられない、そして今までの人生で聞いたことのない「5大」が示される。
 「あれ?ロレックスは入らないのですか?」――これをたずねると、彼らの顔はとたんに綻ぶ。そして、これまた丁寧に答えてくれる。挙句にシリーズ名まで話が及び、「デイトナって言うのはな、アメリカの地名でね」云々かんぬん。ここで、デイトナ24時間レースの話を持ち出してはならない。彼らにとって、自分の腕に輝く時計のシリーズが「デイトナ」であることが重要であり、背景など重要ではないからだ。それよりも大事なのは値段であろう。

 ロレックスや5大メーカーの時計の値段はすさまじい。ウン百万、ウン千万円にもなる。ボディビル大会のかけ声じゃないけど、まさに「腕にちっちゃいポルシェのせてんのかい!」である。この逸品を探して東奔西走、名古屋や大阪まで足を運ぶそうだ。
 ことロレックスの場合、買った時の値段よりもそれを売った時の値段が高いので儲かるのだという。彼の腕にロレックスが留まるのはほんのひととき。その束の間を愛する……なんと儚く贅沢な趣味。そんな知人の昼飯は、コンビニのナポリタンやサラダチキンだ。
 とは言え、少なくとも私には畏れ多い趣味である。5大時計メーカー、憶えられないし。
 
 それに比べ、バードウォッチングはなんと無駄で金にならない趣味であろう。物欲も、所有欲も満たせないし、キャバ嬢にも話さない方がいい。
 今日はサンコウチョウが見たいと出かけても、今日はルリビタキが見たいと出かけても「昨日はいたみたいですよ」と無駄骨に終わることしばし。そして彼らは気まぐれだ。地方の平山城の林で、オオルリを見つけたことがある。まさに「幸せの青い鳥」である。そうした体験に惑わされ、「また来週、鳥探しに行こう」となる。

 見つかったとしても、その出会いは刹那だ。何分も見ていられるのは水鳥か、日向ぼっこをしているシギ類ぐらいなもの。夢中になって鳴いているキビタキが1分間留まってくれているだけで、至福の時間となる。

 探す時は、あらゆる感覚を研ぎ澄ますこととなる。
 バードウォッチングは感覚を総動員する趣味だ。
 野山に入り、耳を澄ませ、気配を感じ取り、何かが動いている空間を見つけ出し、そこに双眼鏡を向ける。なのに尾羽が見えたただけ、なんてこともしばし。なんと効率の悪い趣味であろう。それでも、山道を何時間も探した挙句、お目当ての鳥が見つからなかった帰り道、重い足を引きずりながら見上げた先で、楽しそうに鳴くヤマガラの声など、一服の清涼剤となる。
 
 何が見られたのかを同定するのも苦労の連続だ。あの色はサンショウクイ?いや、ちょっと違う、もしかしてリュウキュウサンショウクイ?――こんな会話がしばし繰り広げられる。季節、見つかった時間、場所、見つけた鳥の大きさ、羽の班の色・形・位置、聞こえた鳴き声……あらゆるデータを総動員して同定する。それでも「あれはエゾビタキだったかもね」「いや、コサメビタキだよ」なんて両者相譲らずは日常茶飯事だ。それが楽しいのだけれど。
 センダイムシクイか、エゾムシクイか、なんて見分けるのは慣れた人でも難しい。セミの鳴き声かな、なんて思っていたら、ヤブサメの鳴き声だった、といった悲劇も。ちなみにこの鳴き声、お年寄りには聴き取りにくい鳴き声なんだそうだ。老後の楽しみかと思っていたバードウォッチングも、安閑としてはいられない。衰えなども突きつけられるのか。

 無駄で、苦労が多いくせに、空振りも多く、見つけても刹那、判別で同行者と侃々諤々、皆が鳥の前に静かに佇み、興奮を圧し殺しつつ喜びを分かち合う……そんなバードウォッチングが私は大好きだ。

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