自由になれよ 子どものように 「LIKE A CHILD」ーBOØWYの歌詞にみる仕事論⑥
仕事面で超えられない壁にぶつかり、限界を感じたときに、ふとこの歌のフレーズが浮かんだ。
「LIKE A CHILD」は、BOØWYの4枚目のアルバム「JUST A HERO」に収録されているが、この曲は彼らの他の楽曲とはひと味違うスタイルが漂っている。ここで使われているシンセベースのメロディーのせいだろうか。そのシンセベースを担当している松井さんは、今回は作詞も手がけており、それもあってか当時からこの曲には少し特別感を抱いていた。
自由とは何か
さて、仕事をしていくうえで「自由になる」とはどういうことかを考えてみたい。
わたし自身のことでいうと、最近は仕事で自由になれる実感は皆無に近い。
(だからこれを書いているw)
もちろん、同じように思う人も少なくないだろう。
しかし、これまで一度も自由を感じなかったわけではない。
以前は、仕事をとおして真の自由を得ることができていたからだ。
これまでのやり方が通用しなくなり、さまざまな取り組みをはじめる転換期だったが、新しいことに臨みながらも手ごたえを感じていた時期だった。
自分のやりたいことと需要が一致する感覚に万能感すら抱いたし、次々にアイデアがわき、チャレンジできる環境でもあった。誰かに指図されるのでなく、自分で道を開拓していく実感がまさに「自由」そのものだった。
そのころ得られた「自由」はこの歌にあるように、子どもの感覚に近かった。
当時の自分はあらゆることを素直な心で吸収し、余計なことを考えずに突き進めていた。でも、そうできていたのは重責を負う立場でなく、「子ども」でいられたからかもしれない。
だが当然のことながら、仕事においても子ども時代は終わってしまう。
大人になると「自由」を得るためには、ある程度の力が必要だと知る。以前、得られていたものは、自分以外の誰かが築いてきた力の上での自由だった。庇護の力がなくなると、その自由を一から勝ち取るのはそう簡単ではないと気がつくまでに大人になってしまったのだ。
この歌の鎖の正体は、仕事においての今の自分にとって、「(責任がともなわない)子ども的な自由」と「(自ら責任を担う)大人としての自由」との間で葛藤している姿に近い気がする。
足にからまった鎖を切るのはそう簡単ではないが、切り裂かないと、その鎖を引きずりながらこの先を生きていくには、おそらく人生は余りにも長い。
あのとき、どこまでも羽ばたいていけるように感じていたガラスの翼は、すっかり透明感を失い、もう翼としての力を失ったのだろうか。
いや、そもそもそれは翼ではなく、幻だったのかもしれない。
こんなことを自問自答しながらも、なにか宝物を探すように子どものような心でもう一度、世界を見つめ直しはじめている。
昨日まで見ていた景色が少し違って見えはじめ、あらたな決意を誰のためではなく自分自身のために、自分の未来のために下すとき。
それは「自由」への小さな一歩の踏みはじめと言えるのではないだろうか。まだ得たことのない、本当の自由の。
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