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コーダ あいのうた

久々に涙活しました。
前から気になってた映画でした。
きっかけとしてはキリンジの音楽で
「愛のコーダ」という曲があったこと。

この曲の場合のコーダはCodaなので音楽用語の「終結部分」を意味するものであり、実は映画とは何の関係もない。(でもいい曲だよ)

映画のコーダはCODAなので聴覚障がい者を意味します。

・あらすじ
高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。
陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。
新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。
すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。 だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対する。

股間が痛いと訴える父。通訳はどうする?

・感想(ネタバレ無し)
泣きましたよ。いや映画ではよく泣く方なんですが、死別とかではなく純粋な家族愛に泣かされたのは久々でした。

ろう者だから他の家族とは違うのか?

と、この映画を見て思ったのですが
本質的には変わらないと思いました。
言わないことは伝わらない
聞こえなければ伝わらない
家族間でも距離感に思い悩むことがあれば、
踏み込まなければ見えてこないものもある。
嘘をつくこともあるが、手話でも口頭でもそれは変わらない。手段が違うだけ。 

自分の中にもあった家族のモヤモヤした部分も
この映画は力になってくれる気がします。
障がいの話だからと、自分と違う世界の話だからと思ってみる必要はないと思いました。


・感想(ネタバレあり)
泣きましたよ。(2回目)
僕はこの泣かされ方が印象に残りましたね。
主人公が歌を歌うシーン。家族は耳が聞こえないために主人公の才能を理解することができない。
出来ないはずなんです。
でも気づく。
何で気づくの?
それも大事なんですが、気づき方よりも
その演出方法に僕は感動しました。

放送事故ともとられかねない長時間の無音。

これって前代未聞だと思うんですよね。
でも映画の主題が主題なだけにこの無音が
聴覚障害によるものであると視聴者はすぐ気づくことが出来る。
「娘の才能に気づく両親」という目線を視聴者と同期させたんですね。

歌のシーンでですよ?

ここで歌ったら感極まるやろうなぁ…
を放棄してしまうんです。

なぜなら聴覚障害だから。だから音を消す。
音が聞こえないならどうする?
そう、周りを見る。
そんな視覚障害のプロセスを我々に疑似体験させることで両親と一緒に娘の才能を感じる。

僕は両親になってましたよ。あの瞬間。
そしてその後に父親が「歌って」と要求するシーン。あそこで首を触っていますね。
喉の震えを感じているのでしょう。

でも、ここでは無音になる必要はない訳です。
もう僕たち視聴者と父親は同じ感情を持っているから。
才能に気づく、という瞬間の同期
歌を聴く、という瞬間の同期
これをうまく見せてくれた訳です。

素敵な映画ですね。
自分の障がいが他人の障害になってはならない。
家族はそう思い直す訳ですし
各々が尊重し合う、それが幸せなのだということも気づかせてくれました。

予告編に書いてある通り。大好きな一本になりまにたね。

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