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学校から引き取った金魚の話。

 全国的に少子化や地方の過疎化が進んでいることもあって、各地で学区の統廃合が進んでいる。小中一貫の義務教育学校という形態ができ始めているようだ。

 私の住んでいる学区も統廃合され、我が子が通っていた小学校も、今年の3月、地域や卒業生や在校生、教職員の方々に惜しまれつつ閉校した。

 閉校するにあたり、学校仕舞いにまつわる笑いあり涙ありのいろいろがあった。記念行事、思い出作り、そして片付け。

 閉校が近くと、教職員の先生方は毎晩のように遅くまで残って様々な作業に追われていた。その中で、「学校で飼っている金魚を誰か引き取っていただけませんか?」と各家庭に声がかかった。
 誰も引き受け手がないのなら、とうちが手を挙げた。引き受けるにあたり、水槽とエアレーション、底に敷く麦飯石など、最低限のものを揃えた。余った餌や使わなくなった器具等も学校から譲ってもらえた。

 オーソドックスな和金と、尾びれが美しい白い金魚と同じ形をした赤い金魚、の3匹が我が家にやってきた。どれも何年も生きているだけあって一尾あたり10センチほどもある立派な金魚であった。

 毎日の餌やり、月一回ほどの水換えで、3匹は順調に育っていた。
 朝、カーテンを開ける途中にある水槽前を通りがかる時に餌やりをする。ルーティーンとしてなじんだのか、私が近くとやや興奮気味に騒がしくなる金魚たちの姿は、日々のささやかな癒しとなった。

 ところが、夏に差し掛かると、7月に白いのが、8月のお盆明けに和金が、次々と旅立った。

 最初に旅立った白いのは、転覆病にかかったこともあり、すぐに水換えをしてエサを控えることで消化不良を克服し、一度は回復したものの、その数週間後に突然息を引き取った。
 8月のお盆明けに死んだ和金は、お盆休みから帰ってくると、死んでいた。
金魚は一週間程度の断食に耐えられるとは言え、出かける前の準備として、水も温度管理にも気をつけていたつもりだが、やはり何かがいけなかったのだろう。

 そして遂に9月の初日を迎えた今日、最後の金魚が目の前で息も絶え絶えとなっている。数日前から、やけにじっとしている時間が長いのと、餌をやってもすぐには食いつかなくなっていた。そして昨日、頭とエラの近くに白いモヤのようなものがついていることに気づいたのだ。
 調べる限り、「白雲病」、という寄生虫由来の病気らしい。どこからどう寄生虫に感染したのかは不明だが、放っておくとエラ全体にモヤが広がって呼吸困難で死んでしまうとのことだった。応急措置として塩水浴を試してみた。水槽とは別のバケツに塩水を用意し、エアレーションを入れる。
 丸一日おいていると、白いモヤモヤは見えなくなった。白くなっていた鱗が2枚ほどバケツの底に剥がれ落ちていた。見た目は戻ったものの、今度は横たわったまま泳いだり逆さになって泳いだり、奇妙な動きをするようになった。そして、横になる時間が増えた。死期が近づいているのだろうか?せめて最後は広い水槽の中で、と思って塩水のまま水槽に移したのがいけなかったのだろうか。そのままバケツにいた方が良かったのか?余計なお節介だったのかもしれない。
 

 
 今こうして最後の1匹が息を引き取ろうとしている中で、「生き物を飼うこと」と「その資格」について自分の中で重くのしかかるものがある。
 自分が良かれと思っていしたことがかえっていけなかったのではないか、とか、あの時もっと早く水換えをしておけばよかったのではないだろうか、とか答えは分からないが自分を責めないわけにはいかない、許されない、けれども…と責めと言い訳の間を堂々巡りしてしまう、そんな心境になるのだ。

 そもそも金魚たちを学校から引き取ったことは正解だったのだろうか。私以外の誰かが育てた方がもっと長生きできたのではないだろうか。けれどもうち以外誰も手をあげなかったではないか。
 寿命だったのだろうか?確かに、子どもの話を聞く限りでは少なくとも8年以上前から学校にいるということになる。金魚の寿命は10年くらいというから、まあまあの往生だったのではないか。

 いやいやどれもただの気休め、自分を納得させる為の言い訳になりはしないか。

 弱々しくなっていくエラの動き、時々にしか動かないヒレ、もはや自分で浮かび上がることも移動することもままならず麦飯石の上に横たわる最後の金魚を見ながら、生き物を育てること、「生」とはなんなのか、ぼんやりと考える。
 自分が金魚を引き取ったことは安請け合いで、大切に育てる覚悟も資格もなかったのではないか。
 何年ものときを子ども達の成長と共に学び舎で過ごしてきた金魚たちの生の歴史、時間の経過というものの重みを、自分はいったいどこまで受け止められるのだろうか。

 何事も完遂するほどの根性もない、鉢植え一つ満足に育てられない自分は、金魚を迎えるべきではなかったのかもしれない。

 責任を感じては逃れ、を繰り返す。この何の生産性もない負のループからは、しばらく抜け出せなさそうだ。

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