樋口ヒロユキ

どうも、樋口ヒロユキです。SUNABAギャラリーというギャラリーをやっています。大学を…

樋口ヒロユキ

どうも、樋口ヒロユキです。SUNABAギャラリーというギャラリーをやっています。大学を出た当初は会社に就職、いつの間にか評論家になり、さらにギャラリーという業態に変わって現在に至っています。 https://sunabagallery.com/index.html

最近の記事

独創、忘却、手癖

これ、以前ツイッターに投稿した話なんですが、こちらにも少し補足して。 AIに絵を描かせる実験をしてる人から聞いた話なのですが、AIに絵を見せて学習させる場合、最初は独創性がなく、どの絵かに似たものしか描けないとか。どれにも似てない独創的なものが描けるのは、3万枚以上見せてからとのこと。他人の作品を見ない方が独創的になれるというのは間違いなのかも。 むしろ逆に、独創性のあるものを作ろうと思ったら、そのジャンルにおけるパターンを裏切るものを作らないといけない。ということは、逆

    • その絵は「誰が見た光景なのか」

      こないだ、バルトの話をちょこっとしたので、これを読んでます。例の「作者の死」という話が出てくる本です。 昔、この人は日本では、レヴィストロース、フーコー、ラカンと並んで、構造主義四天王とか呼ばれたりしてたんですが、実際には物語の構造の不規則な部分や、構造からはみ出した部分にずいぶん興味を持った人で、この本も物語に内在する「文法」の解説と思って読むと、例外的な話ばっかり出てきて面食らいます。 ふつう物語の構造分析というと、物語からニュアンス的なものを概ねひっぺがして、最終的

      • 作者の死

        昨日、どういう絵を描いたらいいのかわからない、という相談を受けて、改めて作者ってなんなんだろう、などといまさらながらに考えてます。どういう作品を作るか、ということは、取りも直さず「自分はどういう作者なのか」を考え、決めることでもあるので、自然とそういう考えに至ったわけですね。 これって禅問答みたいな話で、要は「自分とは一体何なのか」という、いわば非常に哲学的な問いですよね。作品を制作するということは、この問いに答える作業でもあって、これはなかなか辛いものがある。達磨さんの面

        • 「何を vs いかに」 問題、続

          こないだのこの話なんですが、これって美術のプロっぽい方々から見たら、なんと初歩的な悩みかと呆れられそうな話題なんですよね。「何を描くか」から「いかに描くか」への転換が始まったのは、写真の登場からしばらくした頃、印象派の時代の話なので。 https://note.com/sunabagallery/n/nea92ae36749a 以来、150年以上が経って、何もモチーフを描かない、いわゆる純粋抽象が出てきて、抽象ですらないマチエールの塊みたいな「もの派」が出てきて、モノすら

        独創、忘却、手癖

          「何が描かれているか」と「どう描いたか」

          あのね。絵描きの皆さん、「これ、何が描いてあるの?」って聞かれて、萎えたことないですか。人物の背景にふわふわっ! っとした「何か」を描いて、別にそれが何であるかは考えてなくて、ただイメージとして必要だから描いている。ところがお客さんからこれは何ですか、と聞かれる、という体験。 あるいは、これ、男性ですか女性ですか、と聞かれたり。描いてる方は別にどちらでもいいというか、むしろどちらでもないイメージを出したくて描いてるのに、どっちなのか教えて欲しいと迫られる。で、仕方なくどちら

          「何が描かれているか」と「どう描いたか」

          本当は怖い海外展示の話

          ちょっと警告しておきたいことがあったので、臨時でここに書いておきます。 うちの作家に海外の方からメッセージがあり、美術館で展示をするので出品してくれないか、会期後は財団で買い取るから、とのオファーがきた、という報告がありました。直接私が関わる取引ではありませんが、やはりこれは超嬉しい。「ヤッター!」と喜んで、先方のサイトを見たところ、世界中の美術館に収蔵されているビッグネームがずらり。おおおおお、これはすごい! ……と興奮したものの、待てよ、ベネチア・ビエンナーレクラスの

          本当は怖い海外展示の話

          「小早川秋聲展」 京都文化博物館(京都) 2021年8月7日(土)~9月26日(日)

          小早川秋聲(こばやかわ しゅうせい)の展覧会を見てきました。戦前、戦中に、いわゆる戦争画をたくさん描いた日本画家の方で、没後かなり長い間、忘却の時期があったそうですが、近年は再評価の兆しがあって、今回は没後初となる本格的な美術館での個展だそうです。 戦争画というのは基本的に戦意高揚のために、軍が取材旅行の段取りをしたり発表の機会を与えたりして制作されたものが多く、たとえば鶴田吾郎の《神兵パレンバンに降下す》という作品などは、ハリウッドの戦争映画の一コマみたいな(というと怒ら

          「小早川秋聲展」 京都文化博物館(京都) 2021年8月7日(土)~9月26日(日)

          ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』

          とりあえず読み終わったので感想だけでもメモ。 ラカンに関する本としては非常にわかりやすいという触れ込みで、前から読みたいと思っていたのですが、ようやく読みました。その方面は素人なので(いやまじで)半分くらいは正直よくわかりませんでした。自分の頭が単に悪いからなのか、もともとデタラメなことが書いてあるのか、そのあたりは不明。真偽はまさに物質界の彼方の話なので、永遠にたどり着けません。 理解し得た範囲内で印象を記すと、ある意味非常にペシミスティックというか、我々はこの世界の実

          ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』

          「さかぎしよしおう90年代展」

          「さかぎしよしおう90年代展」 キャズ(CAS)(大阪) 2021年7月3日(土)~7月24日(土) http://cas.or.jp/index.shtml  行ってまいりました。さかぎしさんとはネットでのお付き合いは長いのですが、実際に作品を拝見する機会にこれまであまり恵まれておらず(なかなか関西では拝見する機会がない)、前に見たのは2007年、「六本木クロッシング」(森美術館)でのことでした。この頃は既に磁土で作る現在のスタイルになっておられて、確か展示台に乗ってたよ

          「さかぎしよしおう90年代展」

          「舛次崇 静かなまなざし/富塚純光 かたりべの記憶」展

          舛次崇さんは、ちょっと読みづらいのですが、「しゅうじ・たかし」さんと読みます。いわゆる「アウトサイダー・アーティスト」です。私はあまりこの呼び方は好きではなく、いろんな理由で「アール・ブリュット(生の芸術)」という呼び方の方が好きなのですが、それはともかくとして、その個展が兵庫県立美術館で開催されたので行ってきました。 舛次さんはアール・ブリュットの総本山のような場所である、スイス・ローザンヌの「アール・ブリュット・コレクション」という美術館に作品が収蔵されているほか、ポン

          「舛次崇 静かなまなざし/富塚純光 かたりべの記憶」展

          Viva Video! 久保田成子展 国立国際美術館館

          久保田成子さんはなんとなくフルクサス周辺の日本人メンバーの方、くらいのうろ覚えだったのですが、実は「マルセル・デュシャンと 20世紀美術」(国立国際美術館、2004)で私、見てるんですね。17年前か。記憶も曖昧になるはずだ。 さきにちょっとだけフルクサスについて説明すると、フルクサスというのはニューヨークにあった芸術家集団で、ざっくりいえばパフォーマンスや社会巻き込み型のアートの走り。ニューヨークのソーホー地区を芸術家村にしてしまった集団でもあり、国際的な活動をしてたので日

          Viva Video! 久保田成子展 国立国際美術館館

          鷹野隆大「毎日写真1999-2021」 国立国際美術館館

          鷹野隆大さんというとどうしても思い出されるのが、数年前のヌード写真をめぐるいざこざで、あの一件では全然関係もない当方まで非常に消耗させられたので、全く非のない行動を取られたにも関わらず、大変な目に遭われたご本人の消耗はいかばかりであったかと思います。どうもあの一件以来、鷹野さんはセクシュアリティをめぐる作品ばかりがクローズアップされがちだったようで、それもそれでかなりストレスフルな日々だったのではないかと思います。 この展覧会はそうした、いわば狭い見方によって見られていた鷹

          鷹野隆大「毎日写真1999-2021」 国立国際美術館館

          石内都「見える見えない、写真のゆくえ」 西宮市大谷記念美術館

          石内都個展「見える見えない、写真のゆくえ」を西宮市大谷記念美術館で見て来ました。小規模ながら、その作家業を振り返る回顧展的な内容で、いつもとは違った見え方がしたように思いました。 いわゆる旧赤線地帯、つまりは公営売春施設密集地の跡を撮った連作「連夜の街」をはじめとする初期の横須賀三部作。それから母親の遺品を撮った「Mother's」のシリーズ。女性の体に残る傷跡を撮った「Scars」。被爆した女性の衣服を撮った「ひろしま」。フリーダ・カーロの遺品を撮った「フリーダ 愛と痛み

          石内都「見える見えない、写真のゆくえ」 西宮市大谷記念美術館

          新実存主義 (岩波新書) | マルクス・ガブリエル

          マルクス・ガブリエル『新実存主義』 (岩波新書)、読み終えました。この本は一言で言うと「私=脳」ではない、というのがその主張のようです。もちろん著者は心は脳とは何の関係もないと言ってるわけではありません。著者によれば脳とは自転車であり、心とはサイクリングである、と。非常にわかりやすい例えですよね。 本書には難解な部分がいっぱい出てくるので、自分の理解が十全なのかどうかはよくわからないのですが、要するに脳内で起こる物理現象だけで心はできているわけではない、とこの著者は言ってい

          新実存主義 (岩波新書) | マルクス・ガブリエル

          ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-

          「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」京都国立近代美術館見てきました。最終日だったこともあってか会場は大入り満員。会場では学芸員さんの姿もちらほら見かけたなあ。映像展示のためご挨拶できず。残念。 基本的に寝転がって映像を見る仕様で、壁面や天井に大型のスクリーンが設置され、包み込まれるように見る仕掛け。上の写真は実は天井を撮ったもの。こういうモヤモヤした抽象的映像をぼーっと見上げる仕組み。なので、各自の靴は靴袋に入れて

          ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-

          加須屋明子『現代美術の場としてのポーランド: カントルからの継承と変容』

          加須屋明子『現代美術の場としてのポーランド: カントルからの継承と変容』、読み終えました。内容としては非常に浩瀚なもので、戦前から戦後、今世紀にかけてのポーランドの現代美術史を概観するものとなっています。 内容的な主な柱は、ポーランド現代美術界の巨匠、タデウシ・カントルの業績とその影響、彫刻家のオスカル・ハンセンの提起から生まれた「開かれた形」というコンセプトとその継承、さらには著者自身がキュレーションした展示による、日本とポーランドの現代美術家の交流の報告という三つになる

          加須屋明子『現代美術の場としてのポーランド: カントルからの継承と変容』