見出し画像

足らずを知る。

 「だらず」という言葉をご存知だろうか。  

 「だらず」というのは、「足らず(足りない)」が訛った山陰地方の方言で、「配慮が足りない」「想像力が足りない」「思慮に欠ける」というような意味を含み、「愚か者」というニュアンスで使われる。まあ、いわゆるばか、あほ的な罵り言葉である。

 最近は方言自体がマイルドになってきているのか、あまり耳にすることがなくなったが、父(70代)くらいの年代の人はいまだにこの「だらず」を使う。父自身、子供の頃くだらないことで兄弟喧嘩をしては、祖父に「こん(この)だらずが」とよく叱られていたらしい。

 わたしはこの「だらず」という、たった3文字の中に2文字も濁点が付くような汚い方言が好きではなくて、「あほ」の方がまだマシ(?)だわと思っていた。

 でも、「だらず=足らず」という由来を知ってからは、あー、やっぱりわたしは「あほ」というより「だらず」だなと思うようになった。

 何しろ、子どもの頃からさんざん「おまえは努力が足らん」「配慮が足らん」「集中力が足らん」「向上心が足らん」と言われ続けてきたのだ。足りないものが多すぎる。

 10代・20代の頃、わたしはもっと自分がイイモノだと思っていた。そして足りてる他人を羨み、足りない自分を嘆き、恥じ、心を閉ざしていた。

 別にネガティブな話をしたいわけではない。

 年齢を重ねるにつれて、足りないものと少しずつ向き合うようになって、足らないことに落ち込んだり、どうにかカバーしてみようと足掻いてみたり、でもあんまりうまくいかなかったり、そういうこともひっくるめて全部自分なのだと。それをこの歳になってやっと受け入れられるようになったという、そういうことだ。

 足るを知るという言葉があるが、それとはまた違い、わたしの場合は「足らずを知って」今があるのだ。

 50代になったわたしは、いまだに足りないものだらけだけど、そんな「だらず」な自分も嫌いじゃない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?