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サラサラになりたい

私は無類のエッセイ読みだ。いろんな文筆家のエッセイを読むのが好き。家族の思い出や、その時身の回りに起きたことを語り聞かせる文章を読み、ホームドラマを見る如く映像を思い浮かべる。ごく稀に脚色されているらしいが、大体は実際にあった出来事で、いずれも私には体験できないことばかりだ。


大学生の頃、仲の良かった子は皆割と本屋通いをする子だった。そういう子を選んだわけではない。見た目も普通に綺麗なお姉さんの格好をするイマドキ感満載の子たちで、よく話すようになるまで本を読むとは思わなかった。

しかし、読書領域がだいぶ私と異なっていた。彼女たちは外国人作家のミステリーシリーズが大好きで、新刊が出たらいそいそと買い、見た?見た?と楽しげに感想を交換していた。私はあんまり読まないジャンルだ。あんまりにも空想の世界で起こった出来事で、あんまりにも思いがけない出来事が発生しても、私はワクワクしない。「まぁフィクションだし」と思ってしまい、すべてしぼんでしまう。

「それ、人は死ぬの?死なないよね、あんたが読んでるのは。人が死なないとつまんないじゃん。」ある時長い通学電車の中で、お互いに本を手にした時にかけられた言葉が衝撃だった。人が死ぬことがエンターテイメントの真骨頂だと彼女は言うのだ。本当にびっくりした。試しに手元の本を交換してみたが、彼女は苦笑いするだけだった。


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ある時、Twitter上で芋づる式読書mapという読書遍歴をつまびらかにする企画が流行っていたので、私もやってみた。

私は日記文学も好きだし、歴史的偉人の家族が記した偉人の日常生活の記録も好きで、一時期読み漁っていた。漱石先生の家には普通に国語便覧で見た文豪がふらりと訪ねてくるし、書簡が届いた。太宰の奥様はご本人も相当の知性を持ち合わせていて、筆力が並の奥様ではなかった。露伴先生は寡黙で重々しい文体の作品を送り出す文化勲章受賞者だが、家事一般のスペシャリストで、娘に全ての技を実技を披露した上で叩き込んだ。生活の記録、人生の記録、そういったものが特に好きだ。筆まめで何かにつけて記録してくれた人々には感謝してもし尽くせない。


女性文筆家はなぜか猫が好きで、着物が好きなことが多い。みんなだんだん文筆家として地位を確定するにつれ、和服を買い込むようになる。お金持ちになられたんだなと気がつくと、何となく冷めてしまい、続編を読まなくなるようになったことも多い。

あと、偉人の家族のさらに子供、孫までもが、偉人のエピソードトークとして本を出すことがある。ほとんど面識がないのに、コネクションがあると依頼されるのだろうか。あんまり遠いのに『私のじいちゃまのとっておきエピソード!』と本まで出されると、さすがに権威を借り過ぎだろうと冷めるので、追わなくなる。


今まで人に勧めたのは、武田百合子さんの『富士日記』と、向田邦子さんの『父の詫び状』で、どちらも傑作だ。

富士日記は、勧める前に「これ、ただの日記なのに上中下巻あって、人によっては退屈だし、とてもサクッとは読めない分量ですけどね。」と前置きしたりする。本当に個人の日記なので、近所の誰さんに家の何を工事してもらったとか、知らない人が別にストーリー展開に関係しないことをする。でもだんだんに人間関係が変化し、最後の方は登場しなくなって、結果的に月日の経過や一家の環境への適応を、じわりじわりと読み取ることができる。

ただの日常の出来事の記録なのに、面白い。本当に感心する。

作家のご主人から頼まれたご用事で、山麓の家から都内に向かう奥様が、直前に起きたトラブルについて怒り狂いながら車をぶっ飛ばし、用事をすませ、ケロリとして帰宅すると言うハプニング的な日の記録が一番好きだ。

日記は毎日何時頃書くのだろうか。書く頃には怒りの沸点からわずかに下がった心境にいて、読む人まで不快な思いをするような描写にはならない。むしろ、あぁまた奥様が怒り狂っていらっしゃると、少し微笑ましく思う。それを自分でさらりと書けるのが本当にすごと思う。「今日もまた妻が怒り狂って出かけていって、ケロリとして帰ってきた」と言うご主人の目線ではない。

私は気持ちのコントロールも筆力も未熟なので、嫌なことがあったらSNSでどんよりとした、読み手を巻き込むような嫌な文章を書いてしまう。何が違うのだろう。ぜひ見習うべきだと思っているが、もっと読み込んだらヒントがつかめるのだろうか。


向田先生のエッセイは、何を読んでも達人技だ。一つのお題にまつわる家族や自分のエピソードが、ドラマで差し込まれる回想シーンのようにスッと自然に何篇も差し込まれて、しかも何個かエピソードを連ねても話の筋がバラバラになることは決してなく、最後はピタっと着地させる。ため息つく名人芸だ。しかも大きく振りかぶってええ話書きまっせ〜っと前置きをすることもなく、ごく普通にそういえばこんなことがあった〜といった具合にさらっと始まる。普通に対面で思い出話を聞かせてもらってるような自然な口ぶりだ。しかも、最後もさらっとしている。こんな教訓を得られたでしょう!と恩着せがましく〆るのではなく「こんな思い出もあったわね。」「お茶も飲み終わったし、あたし他の用事もあるし、今日はここまで!さよなら!」みたいな、サラッとキッパリした着地をするのが本当にかっこよい。


私に足りないのは、出来事を継続して記録するマメさと、感情を極力出さずに正確に描写する筆力だ。両名のエッセイの文体はとても真似できない。さらっと書くこと。面白く書くこと。分かっているのに本当に難しい。

いつかできるようになりますように。

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