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お米と羊羹と丸ぼうろ

思い返すと、母親は祖母からいろんなものを送ってもらっていた。

母親の実家は佐賀の農家なので、お米は無限に送ってもらえた。その代わり、とんでもなくバカでかい紙の米袋に入っていて、なかなか減らない。減らないなりに食べ尽くし、なくなったら電話して送ってもらっていた。おかげで私たちは美味しいお米だけ食べて育った。

ある時母親が発売したてのパック入りご飯を面白がって買ってきた。農家で育った人からしたら、真空パックで炊飯済みのご飯が売っていることが、相当物珍しかったらしい。

別にお米の在庫が途切れたわけでもないのに、チンして食べるようにいうので食べてみると、ほとんどプラスチックの味がした。「これからもっとこういうの買おうかしら」と言うので、私は「要らない」と全力で反対した。

一人暮らしになって、スーパーでお米を買う時は妙に緊張した。そもそも私の知っている紙袋ではなく、ビニールに包まれている。私一人、何キロを買うのが適正なんだろう。疑問が次々湧いてきた。私はお米の買い方を知らない。加えて、よその農協のよその産地のお米を買う謎の後ろめたさが若干あった。

だんだん後ろめたさが消え、今度はこの産地のこの銘柄を試してみよう〜などと試すようになった。結婚して二人暮らしを始めた頃は、思い切ってスーパーではなく、お米屋さんに足を運んでみたりもした。

そこでは各産地のお米をバカでかい紙袋に玄米で取り揃え、その場で精米してくれるとのことだった。まずは一番手頃な値段の品種を選び、5キロ精米してもらった。5キロ用の紙袋に入ったお米は、私が実家で見たバカでかい紙袋のミニチュア版だ。紙袋入りのお米を見てなんとなく安心した。やっぱりお米は紙袋が似合う。

精米が済み、どうぞと渡された米袋を抱えて驚いた。すごく温かいのだ。お米が5キロの生き物に思えた。日頃美味しいお米しか知らずに育ったと豪語していたくせに、精米済みのお米の温かさは知らなかったことを恥じた。「すごい温かいですね!」と私が驚く様を、お米屋さんは優しく見ていた。私はスタンプカードを作って、通うことにした。

私はこの精米したてのお米の温かさを、都会っ子の夫にも知らせたかった。どんなに道を急いでも、自転車のカゴに乗せて家に着く頃には、いつも冷めてしまった。この新種の生き物を発見したかのような興奮はなかなか人と分かち合えず、とても悔しかった。

母親がお米と一緒に送ってもらっていたのは、小城羊羹だ。佐賀には和菓子屋さんがたくさんあって、小城羊羹と名乗る羊羹を売っている店がたくさんある。佐賀の女性はだいたい自分の推し羊羹があって、法事の時など女ばかりが集まった席で話題にすると様々な店の名前が挙がって面白い。

母親が好きなのは限定されていて、村岡屋の昔風味の小城羊羹という品物だ。表面が砂糖のようにガチガチになっていて、噛むとジャリジャリするが、中は普通の美味しい羊羹だ。私もとても好きで、帰省のたびに買って帰ろうと思うが、村岡屋さんに行かないと買えない。空港にはある時とない時がある。

村岡屋さんは普通のプルプルした羊羹も出していて、特にお土産用の親指2本分くらいの小さい小箱入り(味もいくつかある)などはあちこちで見かけるので、手に入りやすい。祖母は大雑把に「お米と一緒に送るのは村岡屋さんの小城羊羹」と記憶していたらしく、ほとんどの場合プルプルタイプを送ってきた。そして母親に電話で違うと痛烈に叱られていた。母娘のやり取りを聞いて「プレゼントの送り主に文句を直接言うなんてひどい女だ」と私は思っていた。しかしまあまあ仲の良い母娘は断裂することなく、そしていつまでたってもプルプルタイプが送られてくるので、母親の推し羊羹に対する思いは募る一方だった。

ある時法事で帰省した際、みんなで囲んでいたコタツにいくつもの和菓子が乗っていた。この家は本家なので、法事があるとみんながお菓子を手に集まってくる。近所の人も、律儀に自分の推しお菓子を持ってきて、仏様にどうぞと進呈する。お仏壇の周りは熨斗紙が巻かれた紙箱だらけになって、賞味期限切れになることもしばしばだ。だからちょっとお供えしたら、遠慮なく食べてしまうことにしているらしい。その日はお菓子が山盛りだった。

私は一つ、茶色くて地味なお菓子を手に取ってむしゃむしゃ食べた。すかさず叔母が「あんた丸ぼうろ好きね?」と聞いてきた。私は母親が小城羊羹イチオシだったので、他の銘菓を全然食べてこなかった。会社の同僚に佐賀銘菓の松露饅頭美味しいよね?と言われたときも小首をかしげてしまったが、丸ぼうろも初めてだった。その旨申し上げると、叔母はなんと丸ぼうろ推しだったらしく、「えー!知らんとね!こげんもあっとよ、こげんも。」と各和菓子屋さんの丸ぼうろを私の前に並べ始めた。私も面白くなって、どんどん食べて比べてみることにした。

丸ぼうろは、茶色くて丸くて平べったい焼き菓子だ。カステラを何日か干したような、口の中の水分を取り去る系の素材で、口の中でカスカスする。フカフカでもしっとり柔らかでもなく、カスカスする。何しろ薄っぺらい。ひとたび噛むと、カスカスした空気感とほんのりした甘味を感じるが、そんなに満腹にはならない。カスカスだからゼロカロリーなのかもしれない。どんどん食べてもお腹いっぱいにはならない。とにかく一緒にいただくお茶が美味しい。

子どもが通う幼稚園の女児の間で、バレエを習うのが大流行していた時期がある。長男が一番仲良しの女の子も、少し遅れて習い始めた。レッスンのたびにバレリーナ独特のお団子ヘアに結ってもらっている同級生を見て、その子のママに「あれはやってもやらなくてもいいの?」と聞くと、他の同級生は少し上達したクラスにいて、そのクラスの子は結うことが必須なのだと教わった。同時に「あれはお団子っていうか、ペタンコにしなくちゃいけなくて、難しいらしいから面倒臭いな。ほら、あの和菓子であるじゃない、ペタンコのおまんじゅうみたいなやつ。あれにしなくちゃいけないの。」と言われて、ものすごくピンときた。丸ぼうろのことだった。バレリーナは舞台メイクをするととても派手な顔になる。頭にハイカロリーのお団子は無用だ。カスカスでゼロカロリー(推定)の丸ぼうろがぴったりだと至極納得した。

帰省で丸ぼうろの良さを教わった私は、次に伯母に会って、伯母の推しを聞いてみた。伯母は父方の親戚だけど、母親と同じ高校出身で、母親の実家のものすごく近所で育った人だ。当たり前に推し羊羹と推し丸ぼうろがあって「私は帰省のたびに買って、冷凍してる。羊羹冷凍できるのよ?やってみなさい?」と堰を切ったように情報をくれた。伯母の推し丸ぼうろは北島の花ぼうろとのことだ。「花ぼうろ知らんの?」と少し責められた。そして次に会った時「あんた花ぼうろ知らんっていうから買ってきたよ。」と親切に大切な推しを分けてくれた。

驚いたことに、花ぼうろは丸ぼうろと丸ぼうろの間にあんずジャムが挟まった、デラックス丸ぼうろだった。これは聞いてない。丸ぼうろは一枚で食べるものだと思っていた。最初に伯母からぼんやり説明を受けた時「あんずジャムが入っているのよ」と聞いて、あんな薄っぺらい焼き菓子にあんずジャムなんて入れられるのかとあんぱんのあんのイメージで訝しく思っていたが、サンドする構造とは。二枚いっぺんに食べるとは贅沢だ。プリングルズも一枚ずつ食べる私にとって、丸ぼうろの二枚食べは贅沢行為だ。

早速食べると、カスカスとカスカスの間にしっとり成分がプラスされ、それはそれは美味しかった。私も推し丸ぼうろは花ぼうろにしようと思った。同時にスーパーの鈴カステラやかりんとうと同じ棚で見かけるお買い得品の丸ぼうろは、たった一枚で物足りないとさえ思うようになってしまった。ちょっと贅沢するだけでこれだけ意識が変わってしまうのは恐ろしい。

はぁ、推しが恋しい。つらつら書いていたら、小城羊羹と贅沢な花ぼうろが食べたくなってきた。今なら母親が推しの表面がガチガチの小城羊羹を求めて祖母を強く叱る気持ちも分からなくはない。お米の減りを横目に、次のお米便にこそあの羊羹が入っているのではないかと期待し、毎回裏切られたのでは、さぞ悔しかっただろう。佐賀の女の推し和菓子への執着心は、私にもまだ少し流れているような気がする。


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