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5年越しに”失恋”した話

最近、ぼくはある問題を抱えている。

誰しも、「自分ってこんな人間だよな」という人格の自認みたいなものがあると思う。ぼくは、二十数年間信じていた自分の人格、性格が全くもって間違っていたことに気づき、驚き、困惑しておかしくなっている。

ぼくは、自分のことを「1人でいることを好む人」だと思っていた。週末は1人で趣味に打ち込む。写真を撮りに行ったり、カフェを巡るのも1人が多い。第一人を誘うのが苦手だし、誘う相手も少ない。
むしろ大人数が苦手で、部活やクラスで人が集まる場面でも孤立しがちだった。
それでも楽しめる、孤独を楽しめるタイプだと思っていた。

どうやら大間違いだったみたいだ。

何年もそういう暮らしをしてきたから、変わらず今も1人で過ごす日々である。いま、この孤独感に耐えられなくなっている。意味がわからないよ…。

この孤独という感じをもっと深掘りすると、心が冷めきっていて寂しい状態だ。つまりは人の温もりに飢えているのです…。

孤独感を感じる原因は他にもあるが、ここでは温もりにフォーカスしたい。

5年前、ぼくには恋人がいた。しかし恋人と言ってもぼくの方から相手には恋心は一切なかった。これは本当で、いまもそう思う。

当時はまだ孤独を謳歌していた頃だから、一方的な片思いを源に猛プッシュをかけてくる相手に圧倒され、妥協した。毎日顔を合わせるのに、返事を2日も保留したことも覚えている…。

当然うまくいくわけない。ぼくはひどく疲弊し、1年と数ヶ月で別れた。ぼくの方にはなんの未練もなく(というわけでもなく、ひどいことをしたな、という自責が残っている)。

そしてもう一つ心に残留しているものに気がついた。彼女の温もりである。
夏のくそ暑い日でも、秋雨の降る肌寒い日でも、雪のちらつくクリスマスイブでも、春の涼しい風の中でも。どんな温度とも違う、人肌から直に伝わった熱。右腕で感じた熱。

いくら恋心がなかったとて、これを忘れられないのはもはや失恋であろう…。

これが今の孤独感を一層強めている。人は言い表せられない温もりを持っていて、これは人を落ち着かせる力がある。そのことを知っていて、これを感じられない今、無性に不安なのである。

人はそれぞれ違う体温を保つ。触れ合ったとき、この微妙な違いを温もりと感じる。人の温もりは、相手と自分が異なっていることを感じ、それを溶かしてくれる。相互理解の最たる現象であると思う。だから安心するのだよ。

今ひとりでいる以上、この心を温める術はない。ぼくを温めてくれる、またぼくの温もりを必要とする人の出現を静かに待つのみである。

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