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亡母の誕生日

亡母の誕生日は9月15日。
敬老の日だ。今みたいにカレンダーに合わせて祭日が少々日程的に変更されたりするころに比べて、私が小さい頃は祭日をその日に認識していたから、15日はいつも祭日で、母は自分の誕生日なのに、父の為に一生懸命働いて御馳走作ったりしていた。

私が就労するようになってからは、ケーキなどは私が買ってやって、仕事から店に直行してから帰宅したり。私は当時から結構長い間、CRM(客先関係管理)の関連したカスタマーサービス、カスタマーサポート、ITテクニカルデスクサポ、ITテクニカルヘルプデスクなどを続けてきたので、当時は厳しいシフトで朝晩混じったスケジュールで寝不足な毎日を過ごしていた。でも、母の誕生日は必ずプレゼントとケーキや 鶏脚のローストなどを買って戻っていたものだ。

あらぁ、良かったのにぃ、私の事なんてぇ

なんて言いながら、目に涙をウルウルさせて、受け取っていた。

一人娘の私は、亡父と亡母を介護した。疑い深いキツイ目線で、誰なのか忘れてしまった私を藪睨みでねめつける父の表情や、雑巾をふろにもっていこうとしていた母の混乱した顔を思い出し、今、思うと、誕生日や父の日や母の日のプレゼントがどれ程、親の頭に残るのだろう、と考えたものだ。

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上の写真は、やはり母の誕生日に近い残暑激しい夏のある日、浸水バプテズマ(洗礼式)を実施した時の聖衣を着て聖水の中で牧師たちと祈る母だ。
母が洗礼式を実施したのは、父が亡くなった年の夏だ。父が亡くなるまで、母は、クリスチャンの洗礼式を待ったものだ。

父の言葉の暴力や、身体への暴力、心に埋め込まれた虐待を全て呑み込み、私の思いに応え、若い頃から憧れていた教会にやっと所属し、牧師様達にご挨拶して、安心したのか、認知は少しづつ、悪化したが、全ての厭な経験を赦し、父を赦し、そして2019年まで一生懸命生きてくれた。

母の遺影は、ウチのシルにゃんを抱きしめて、柔らかく笑った笑顔。
80後半には見えないかなぁ?

ママ、私、元気よ。もう随分経ったねぇ…。また、来月当たり、教会の墓苑に行くからね~~

2018年11月撮影
2018年11月撮影
入間の教会用墓苑 あの天国への階段を上ってその先にママが眠っている



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