見出し画像

凪 (フィクション>短編)

§1.雷鳴

督葉羅とくはら寵子ちょうこは真っ暗くなり始めた外の様子に眉間に皺を寄せた。二階の窓から見ていると、気分的に恐怖感さえ感じるようだった。

昨夜の雷雨は通常の雷雨と違い、雷鳴が轟き、ただの豪雨では無い雷雨が降り続いた。天気予報では、今夜もそうなりそうだ、と言っていた。

気象庁の特別警報によれば、S県のF市内は、都内に近いので、いま都内に向かっている昨夜のほぼ倍の大きな雷雲のせいで数時間、電車が止まるような雷鳴と雷豪雨に遭遇するので、早く帰宅をし、浸水しやすいところは準備するように、とニュースが伝えていた。

―今頃、彼は電車の中か、
と夫の場所について大体目安は付いたが、寵子自身が不安になり、何度も玄関上の配電盤を見に行く程、短時間での停電が相次いだ。

その度に、犬のタローは舌なめずりしながら震え、寵子の後をつき歩き、猫は寵子の腕の中で耳をほぼ横に平たく伸ばして寵子の脇に顔をうずめていた。赤ちゃんをあやす様に猫を抱き、犬に話をしながら、玄関と窓の間を寵子は行ったり来たりした。

夜の6時ごろから暗雲が蔓延はびこり始め、お外はこれから大騒ぎだ、と寵子は感じていた。夫の督葉羅とくはら嗣芙海ひでふみの帰宅も遅れていた。

嗣芙海は昨年独立し、ITコンサル事業を立ち上げ、思いの外、旨く行っていた。昨年初めに父嗣継を亡くし、そのすぐ後を追うように、義母の幸子が逝った。実家の建物を購入したいという外資ホテルの言い値で売り、その金を建物内で就労していた従業員達に与え、実家の屋敷の維持費も無くなり、今年は心機一転で新たに増益を考えて事業を進めていた。なので、多忙だった。

静かにパソコンを見ながら考え込んでいた寵子の視界に、この町が一つ、真っ暗な闇になるような、深い闇に包まれ、その瞬間、カッ、ガラガラガラ、ドッカーン、と核爆弾並みの光と大きな音で、近くの人形工場に雷が落ちた。

居間で座ってパソコンをいじっていたら、突然雷鳴の響きに身体が揺れた寵子は驚いたというよりショックで周囲を見廻した。瞬間的に、ニュースを見ていたパソコンの電気が落ち、即座に戻って来た。

寵子は怖くなり、PCの電源を落として、暫時手を放していた猫と犬の名を読んで位置情報を確認する間もなく、次にガラガラガッシャーン、ドカン!と近くの坂にある公園あたりに落ちた時は、轟音の地響きまでして、普段は非常に落ち着いた飼猫ブルが、横から寵子ちょうこの胸に飛び乗って爪を出して毛を立たせて震えだした。余程、怖かったのであろう。

猫を抱き直し、周囲を伺うと、雨はこれでもか、と言う程、降っていて、雨音でテレビなど聴こえなかった。台所と風呂場の水道から泥のにおいがした。

真っ暗な中、避難開始となったら、どうしよう、とほぼ2,3時間、寵子も猫同様、おびえて抱き着く猫を抱きながらうろうろし、きょろきょろしていた。

寵子の住んでいるアパートの有る場所は、S県では以前、山岳地帯だったらしく、崖や大きな石の岩盤土を砕いて細かくし、その上にセメントで地盤を固めて、建物が建っていると、随分前に近隣のご夫人が寵子に話した。
「このアパート木造でしょ。地震では揺れるけど、倒れないと思う。雨にも、場所柄、強いからね、この辺は」
とご夫人が話していた。

停電は長いものでも、精々5分だった。警報が出ていたので、電気の方は雷鳴が止んだ後、一旦落ち着いた。豪雨もぱったりと収まったが、雨は酷いままだった。

クーラーが強くて寒いな、と思い始めた頃に9時半頃か、嗣芙海が悲鳴を上げながら、全身ずぶぬれで帰ってきた。
「ただいまっ、いやぁ、酷い雨でさ、って、電車止まるわ、満員だわ、参ったよ。この辺もそうだったでしょ?」
「うわ、ビッショリ。拭いて、拭いて。このまま、お風呂に行きましょ」
寵子はカバンと上着を受け取り、夫の頭にバスタオルを広げ、彼の頭を軽く拭いてやり、玄関から風呂場まで頭を包ませていかせて服を脱がせて洗濯機に入れて、シャワーを浴びさせた。

もう停電は無くなり、犬も猫も落ち着いていたが、タローはトラウマの様に感じているのか、いまだに上目遣いでこちらを伺っている。
「怖かったねぇ、タロちゃん」
と言うと、緩やかに尻尾を揺らせて返事をする様にタロがクンクン鳴いた。
台所の流しの横の
「ブルちゃん席」
に座って、「母」の寵子の作業を見ていたグレー猫のブルは、先程の震えだしは忘れたかの様に、床に寝転ぶタロを俯瞰して眺めていた。

早々にシャワーから出た嗣芙海がバスタオルを腹に巻いただけの裸姿で台所に来た。男はコレが出来るから、簡単でいいな、と寵子は、笑いながら羨ましく思った。

ご主人様の近くに行くタロに嗣芙海が長々と挨拶して、びしょ濡れのカバンからファイルなどを取り出している間に、寵子はチャッチャと冷蔵庫から缶ビールを開けて彼に渡し、近くのコンビニで買った牛タンで手早くつまみを作ってテーブルに出してやったのを、嗣芙海は喜んで食べた。
「ごはんは?」
と、寵子が尋ねると、
「あぁ、好い、これだけで。今頃喰ったら一晩中起きてる事になるし」
確かにご飯には、遅すぎる時間だった。

いつまでも真っ裸では困るので、洗ったばかりのパジャマを嗣芙海に渡して、食べ終わった後のつまみ皿やビールジョッキを片付けて洗っていたら、嗣芙海が
「もう好いから、此方に来なさいよ」
と声を架けた。

ふと見ると、ワンルームのベッドエリアで嗣芙海がベッドスペースの前にあるテレビで選局したりしながら、ベッドにパジャマで寝転んでブルと遊んでいた。

猫のブルは、元々は野良猫だったので、嗣芙海がご主人様であろうと、あまりタロの様に礼儀正しく挨拶するなどはしなかった。ブルは、他人に自分の身体を触らせるのには時間が懸る、保護猫だった。一緒に暮らしているとはいえ、猫との生活をそう経験していない嗣芙海が如何に動物好きとは言え、一年も懸らない内にあのブルを自分にココまで手なずけるなんて、と寵子は驚いた。

「カバンから物は出してあるの?濡れちゃってよ」
「あぁ。書斎エリアに広げて乾かしてあるよ。大丈夫、大丈夫」
と言いながら、後ろのパテッションで分割されたベッドルームエリアを指さした。

書斎エリアに嗣芙海のすべてが置いてあり、ここで彼は仕事をした。同居が始まってから、寵子の本や他のモノは一階の別倉庫に片してやった寵子から見ると、とても十分とは思えないこの室内を、嗣芙海はうまく活用して使っていた。

嗣芙海が寵子の手を引っ張って、ベッドに寝転ばせて、二人でちんまり収まると、ブルは、分かって居たかの様に寵子側のベッド横に置いてある金色の箱の中に収まり、此方を見上げた。
「おやすみ」
と言ってる様だった。くすくす笑い、お休み、と嗣芙海は電気を消した。

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?